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追悼

<追悼>元広島、阪急の水谷実雄氏死去 77歳、赤ヘル黄金期をけん引、育成にも尽力

 

8月10日、水谷実雄さんが兵庫県西宮市内の病院で心不全により死去した。77歳だった。広島、阪急で強打者として活躍。広島では1975年のリーグ初優勝、79年から2年連続の日本一に貢献するなど、勝負強い打撃で黄金時代を支えた。引退後は広島、阪神などでコーチを務め、数多くの好打者を育て上げた。

猛練習に裏打ちされた確かな打撃技術と理論。選手、指導者として球界に大きな功績を残した[写真=BBM]


首位打者、打点王の栄冠


 水谷さんは宮崎商高のエース兼主力打者として、1963、64年夏に甲子園出場。翌65年の第1回ドラフト会議で、広島から4位指名を受けて入団した。

 プロ入り後は野手転向し、外野や一塁を守った。70年に一軍定着。1学年上の山本浩二衣笠祥雄らとともに、同年コーチに就任した関根潤三の徹底指導を受けて鍛錬した。

 その成果が75年に花開く。球団や選手の意識改革を進めながらもシーズン序盤で辞任した外国人監督ジョー・ルーツのあとを引き継いだ古葉竹識のもと、チームは力強く首位を快走。“赤ヘルブーム”が球界を席巻した。マジック1で迎えた10月15日の巨人戦(後楽園)。優勝を目前とした9回裏二死の場面を、こう回想していた。

「レフトの守備位置から三塁側ベンチを見たら、全員が涙を流しているんです。ふと左を見たら、センターのコージ(山本)も泣いている。私は『なんで泣くんかなあ』と思い、守ることに集中していましたよ。守備が苦手でしたからね」(2024年『ベースボールマガジン5月号』より)

 史上初のリーグ優勝を決める最後の左飛、ウイニングボールは水谷さんがつかんだ。この年、七番打者として打率.285。その後は五番に定着し、78年には打率.348で首位打者を獲得。79年は初の日本一に貢献し、近鉄との日本シリーズで2本塁打を放ち優秀選手賞を受賞。80年も2年連続の日本一と、黄金時代の中核を担った。

「当時はみんなバラバラで飲みに行って、次の日、試合に行くバスで顔を合わせて試合に臨むという感じ。みんな一緒にいなくても、それぞれ自分の役割を分かってプレーをしていたから強かったんだと思うね」(2013年『広島東洋カープ 黄金時代の記憶』より)

 82年オフには、加藤英司とのトレードで阪急へ移籍。指名打者として、移籍1年目の83年は114打点で2度目のタイトルの打点王を獲得。自己最多となる36本塁打も放った。

 しかし、翌84年の開幕戦で左耳に死球を受け、めまいなどの深刻な後遺症に悩まされた。古巣との対戦となった同年の日本シリーズ第3戦(西宮)では、5点を追う9回裏二死の場面に代打で登場。広島ファンの大歓声を受けて打席に立ち、一飛で試合終了。翌85年限りで現役を退いた。

 引退後も後遺症は残った。「でも、『あのデッドボールがなかったら』なんてことを思ったことはない。それだけは、言っちゃあかんのですよ」と運命を受け入れていた(2024年『ベースボールマガジン5月号』より)。

後進を育てた名伯楽


 引退後は、阪急、広島、近鉄、ダイエー、中日、阪神でコーチを歴任。近鉄では95年に監督代行も務めた。古巣の広島には89年、監督となった山本に乞われて打撃コーチに就任。現役時代の鍛錬の中で培ってきた独自の打撃理論と熱心な指導で、緒方孝市江藤智野村謙二郎前田智徳金本知憲ら、のちの大選手たちを育て上げた。

 ユニフォームを脱ぐたびに、次のオファーが舞い込む。教え子は、近鉄の中村紀洋、ダイエーの小久保裕紀井口資仁松中信彦、阪神の福留孝介ら、そうそうたる顔ぶれ。13年、阪神の一軍チーフコーチを最後に、球界を離れた。その後は西宮市内で飲食店を経営しながら、テレビ中継を通して教え子の活躍を見守っていたという。

 現在、広島を指揮する新井貴浩監督も、阪神時代の13年に薫陶を受けた一人だ。訃報に接し、「悲しいですね」と心境を吐露。「厳しい方だったけど、愛情のある方だった。自分は、そのときは36歳ぐらいだったけど、叱ってくれるときは叱ってくれた。本気で叱ってくれるコーチでした」とその人柄を回顧した。

 選手、指導者としてともに戦った山本浩二さんは、「本当に良きライバルだった。残念でショック。最後に会ったのは、2008年の北京五輪に行くときだと思う。(水谷さんが経営する)西宮の居酒屋に星野(星野仙一)らと行ったんだ。あれが最後になった」と話し、盟友を悼んだ。

PROFILE
みずたに・じつお●1947年11月19日生まれ。宮崎県出身。右投右打。宮崎商高から66年ドラフト4位で広島に入団。入団直後に腎臓病を患い、2年目に投手から野手に転向。70年に一軍に定着し75年の初優勝に貢献。78年に首位打者に輝き、79、80年の連続日本一には主軸打者として大活躍した。83年から阪急に移籍し、いきなり打点王に。しかし84年に頭部死球を受け、その影響もあり85年限りで引退。その後、6球団でコーチとして育成に尽力した。

【通算成績】実働19年/1729試合、1522安打、244本塁打、809打点、44盗塁、打率.285。
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