1958年に創刊された『週刊ベースボール』が通算4000号を迎えるにあたり、スペシャル企画第1弾となる松井秀喜氏と高橋由伸氏のトークショーが8月30日に開催される。ジャイアンツの魂と伝統を継承してきた2人のスター。あらためてその栄光の足跡を振り返るとともに、語り落とすことができない「長嶋茂雄」との物語をお届けする。 写真=BBM 松井秀喜 伝説となったスラッガー
運命に導かれるように、伝統のユニフォームの袖を通すことになった。星稜高では1年時から四番を張り、3年夏の甲子園では「5打席連続敬遠」によって敗れながらも甲子園のスターとなった“ゴジラ”は、1992年秋のドラフトで4球団が競合。当たりクジが
巨人の指揮官として復帰を果たしたばかりの長嶋茂雄監督の右手に収まったのは、必然だったのかもしれない。
長嶋監督のラブ
コールに対し、「熱烈なタイガースファンとして育った自分が、宿命のライバルであるジャイアンツの監督から声を掛けてもらったという以上に、絶対的な存在の長嶋さんから声を掛けてもらったことがうれしかった」と振り返る松井は、指揮官の手によって「巨人の四番」「球界の四番」にふさわしいスラッガーへと導かれていく。「四番育成1000日計画」、そして長嶋監督とのマンツーマンでの素振りは今でも語り草だ。
1年目から11本塁打を放って大器の片鱗を見せ、2年目の94年にはレギュラーに定着して伝説の“10.8”で初のリーグ優勝を味わうと、自身初の開幕四番となった96年は打率.314、38本塁打、99打点で2度目の優勝に貢献し、当時の最年少でリーグMVPを受賞。以降の活躍はもはや説明不要だろう。
98年に本塁打と打点の打撃2冠に輝くと、「もっともドラマチックで、強く印象に残っている。日本でのプロ野球人生の中でもっともいい1年」と振り返る2000年。2度目の打撃2冠でチームを4年ぶりのリーグ優勝に導いた。長嶋監督の背番号「3」が復活し・・・
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