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東京六大学野球結成100年記念スペシャルトークショー

<東京六大学野球結成100年記念スペシャルトークショー>東京六大学野球の神髄 学生野球の聖地・神宮で得た学び

 

東京六大学秋季リーグ戦開幕が1週間後に迫った9月6日、東京都内で連盟結成100周年記念スペシャルトークショー第2弾(主催=ベースボール・マガジン社、協力=東京六大学野球連盟)が開催された。1980年代に神宮球場を盛り上げた4人が、熱いトークを繰り広げた。
取材・文=上原伸一 写真=矢野寿明

トークショー当日は事前の控え室から思い出話に花が咲き、最高潮のボルテージで本編も盛り上がった。左から早大OB・石井氏、法大OB・小早川氏、東大OB・大越氏、明大OB・広澤氏[写真=矢野寿明]


東京六大学進学の経緯


 進行役を担ったのは『報道ステーション』のキャスターとしてお馴染みの東大OB・大越健介氏。神宮では4年間、右のサイドスローとして通算8勝を挙げた。「私は公立校出身(新潟高)で、運良く一浪で東大に合格し、神宮のマウンドにも立てましたが、皆さんはなぜ東京六大学を志望したのですか?」と切り出すと、3人は三様の理由を披露した。

「もともと高卒プロは考えていなくて、とにかく東京に出たかったんです。そのための選択肢に大学進学があり、縁があって法大に入りました」と明かしたのはPL学園高時代からプロ注目の逸材だった法大OB・小早川毅彦氏。明大OBの広澤克実氏は「本当は1976年センバツの準優勝投手でもある小山高先輩の黒田光弘さんがいた早大が第一志望だったんです。ところが、早大より前にあった明大のセレクションに軽い気持ちで行ったところ、受かってしまって……それが島岡御大(明大を計37年指揮した島岡吉郎元監督)とのご縁の始まりです」と、会場の笑いを誘った。そして、秋田高で投手だった早大OBの石井浩郎氏は「私は(76年秋の早慶2回戦で)1試合17塁打のリーグ記録を打ち立てた佐藤清さんにあこがれていまして。早慶戦に出場したいと思い、一般入試で早大に入りました」と話した。

 その後、プロ野球でも名を馳せた小早川氏、広澤氏、石井氏は現在も現場で活躍。小早川氏と広澤氏は野球解説者、石井氏は3回連続当選の参議院議員だ。また小早川氏は法大野球部OB会(法友野球倶楽部)会長、広澤氏は日本ポニーベースボール協会理事長の顔も持ち、アマチュア野球の発展にも尽力している。

打棒開眼のきっかけ


 今回の1番目のテーマは「スラッガーとしての覚醒」。3氏は大学時代も四番を打ち、打棒を振るった。2年秋に三冠王に輝いた小早川氏はリーグ戦歴代13位の通算16本塁打。2季連続首位打者(83年春秋)に輝いた広澤氏は歴代8位タイの18本塁打で、石井氏は歴代14位タイの15本塁打を記録している。在学中、飛躍につながるきっかけを明かした。

 小早川氏は練習量が増えたのが大きかったという。「高校では1年生から3年生まで全員が同じ練習をしていましたが、大学では100人以上の部員がいたなか、メンバーが優先的に打たせてもらえたんです。専属の打撃投手もいましたし」。小早川氏の話をうらやましげに聞いていたのが広澤氏だった。「当時の明治はレギュラーでも練習で打てる数が少なかったんです。フリー打撃は5本を3回、3本を2回くらい打って終わりでしたし。その代わり、バント練習の時間は長かった(笑)」。小技を鍛える中で培われたものがあった。「試合で何よりも重要になる集中力です。心が左右する緊張が集中力を妨げることも学びました」。一方、石井氏が打撃を磨いたのは社会人・プリンスホテル時代(2000年解散)だったという。「大学時代は(バットが遠回りする)ドアスイングだったので、それを修正しようと毎日、1000回はバットを振りました。その成果で、右中間方向にもホームランが打てるようになったのです」。石井氏には大学卒業後に成長できた誇りがある。

「リーグ戦の通算打率は.241でしたがプロでは.289と5分近くも上げたんですね。大学では4年間でリーグ優勝できなかった悔しさが糧になったのだと思います」

 登壇者で唯一の投手である大越氏は在学中、主戦投手として5位を3回経験し、東大歴代5位タイの8勝(27敗)をマーク。責任投手の数が、チームへの貢献度を物語っている。

「自分たちの代は在学時、4年間8シーズンで24勝を経験しています。これは、東大というチームではまずまずの成績だった自負しています」

 東大は1998年春から今春まで55季連続最下位。法大から勝ち点を挙げ、シーズン3勝の2017年秋を最後に、勝ち点を挙げていない。シーズン2勝は、24年秋のみと苦戦が続く。

 大越氏は東大卒業後、NHKに入局したが、いくつかの社会人野球の企業チームから声がかかったという。なかには心惹かれた会社も……。「そのまま入社していたら、まったく違う人生が待っていたでしょうね」。

 2つ目のテーマは「東京六大学野球の矜持」。「かつて東京六大学は今よりも人気があった。メディアの露出も大きかったのですが……」と危機感を口にしたのは石井氏。小早川氏はこれを受け「神宮に足を運んでくれるOBは多いのですが、学生の姿が少ない」と吐露した。すると広澤氏は「校歌を知らずに卒業する学生も多いようです。でも、それでは……神宮応援を母校の校歌を覚える機会にしてくれたら」と、神宮の応援席の「学生動員」のための一つのアイデアを示した。

還暦を過ぎた4人の言葉


 最後のテーマは「東京六大学野球が人生に及ぼしたもの」だった。

「母校に対する誇りや思いが、社会に出ても自制心の源になっている」(石井氏)

「初めて社会的な存在になれた東京六大学野球でプレーしていたことが、いまの自分の大きなピースになっている」(大越氏)

「島岡さんの指導は厳しかったですが、しっかりとした人間教育をしてもらったおかげで人としての『芯』をつくってもらった。これからは母校に恩返しをしていきたい」(広澤氏)

「学生時代にスポーツマン精神のもと、品格と知性をしっかり養って、周りの人から目標とされる野球部員になりなさいと言われました。それだけ多くの人から応援してもらっているから、と。(法大野球部の父である)藤田信男さんからの言葉はいまも大事にしている」(小早川氏)

 還暦を過ぎた4人の言葉には、深みと重みがあった。

 大きな盛り上がりの中で、あっという間に過ぎていった約1時間半。最後に進行役の大越氏は、こんな話でトークショーを締めた。

「大学3年のときに日米大学野球の代表に選ばれ、1度だけ登板しました。すごく緊張したのですが、一塁には広澤さんが、ライトには小早川さんがいまして。こんなすごい選手をバックに投げている自分が不思議に思えたのですが、今日こうして石井さんも交えて、同じ『神宮』という共通の故郷を持つ4人とお話ができた。とても幸せでしたし、それを来場者の皆さんに聞いていただき、本当にうれしかったです」。連盟結成100年の東京六大学リーグ戦では今春、秋とレジェンド始球式を開催。小早川氏は9月21日、広澤氏は9月28日、大越氏は10月5日に大役を務める予定になっている。

ステージには学生時代のパネルが飾られた。左から大越氏、小早川氏、広澤氏、石井氏。なお第1弾は4月、1990年代に活躍した慶大OB・高橋由伸氏と明大OB・川上憲伸氏の同級生に、立大OB・上重聡氏が司会進行で開催した[写真=矢野寿明]


PROFILE
おおこし・けんすけ●1961年8月25日生まれ。新潟県出身。新潟高から81年に東大入学。2年春から主戦投手で、リーグ戦通算8勝。3年時には東大史上初となる日米大学選手権でプレーした。卒業後はNHKに入局。現在は『報道ステーション』(テレビ朝日系列)のメインキャスター。

こばやかわ・たけひこ●1961年11月15日生まれ。広島県出身。PL学園高から80年に法大入学。2年秋に戦後5人目の三冠王。東京六大学歴代13位の16本塁打。84年ドラフト2位で広島に入団し、同年に新人王。97年にヤクルトに移籍し99年限りで現役引退。プロ通算171本塁打。

ひろさわ・かつみ●1962年4月10日生まれ。茨城県出身。小山高から81年に明大入学。3年時に春秋連続首位打者。東京六大学歴代8位タイ18本塁打。84年ロス五輪金メダル。85年ドラフト1位でヤクルトに入団し打点王2回、ベストナイン4回。巨人阪神と移籍しプロ通算306本塁打。

いしい・ひろお●1964年6月21日生まれ。秋田県出身。秋田高から83年に早大入学。3年春にベストナイン。東京六大学歴代14位タイの15本塁打。プリンスホテルを経て90年ドラフト3位で近鉄に入団し打点王1回、ベストナイン2回。巨人、ロッテ、横浜と移籍しプロ通算162本塁打。
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