11年ぶりの日本球界復帰の場に選んだのは楽天だった。2015年オフに海を渡り、夢の舞台で躍動。一方でリリーフ起用や右肘手術など苦しい時間も味わった。そのすべての経験が糧となり、自信へとつながっている。入団会見では新天地への思いと覚悟を語った。 文・構成=阿部ちはる 写真=落合史生 
クリムゾンレッドのユニフォームを身にまとい、楽天モバイルのマウンドに立った前田健。楽天の「18」の重みも背負いチームをけん引する
12月の仙台とは思えないほどの陽気が、新天地での再出発を歓迎するかのようだった。
2025年12月16日、楽天モバイルで行われた
前田健太の入団会見。そこで語られた覚悟は、にこやかな表情からは想像できないほど強いものだった。
「生半可な気持ちで球団を選んだわけではないですし、キャリア最後のチームだと思って入団させていただきました」
26年4月で38歳。結果を残すことでしか未来を切り開けない立場となった。それでも、自信がなければ挑戦はしない。
「一番は先発ピッチャーとして評価をしてくださったことが僕自身すごくうれしかったですし、25年シーズンは悪い時期もありましたけどそこから時間をかけて修正して、最後のほうは自信を持ってマウンドに上がることができていたので」
メジャー10年目の25年は投球フォームを崩し思うような投球ができず、5月にタイガースを自由契約となった。その後、カブス傘下やヤンキース傘下の3Aでプレーする中で「感覚が良くなっていった」と手応えを得るも、メジャー登板は叶わず、日本球界復帰を決断。
だが、厳しい環境下にいたからこそ、得られたこともある。「マイナーの先発投手は中4〜5日で投げるのですが、そのペースでローテーションを守って投げることができたので(新シーズンへの)土台は築けたと思っています。また、この年齢でハングリー精神を味わえた。やはり悔しいと思える自分がいたので、そこは良かったんじゃないかなと」。
勝利への渇望が新たな挑戦へと右腕を突き動かす。「選手として勝つことが一番のモチベーションですし、勝つために必要と思われる選手でありたい」。
石井一久GMからの「一緒に頑張ろう、一緒に優勝しよう」というオファーに、気持ちが決まった。
PL学園高から07年ドラフト1位で
広島に入団。早くからエースとして活躍し10、15年と2度の沢村賞に輝き、海を渡った16年にはドジャースでチーム最多の16勝をマーク。21年9月にトミー・ジョン手術を受け、その後は苦しい時間も長かったがメジャー通算68勝を挙げた。その実績と経験を持つ前田健は、若い投手が多い楽天先発陣にとって生きた教材でもある。
「僕にはいろんな引き出しがある。状態が悪いときにどういうピッチングをするのか、どう戻すか。体に関しても、張っているなとか調子が悪いなと思ったときにどう体を使えばうまく投げられるかとか、1年間投げ続けるための対応、その引き出しを増やすことができているので、そこは強みでもあるかなと思います」
25年はチーム内に規定投球回到達者がいなかっただけに石井GMも「先発に芯を入れてほしい」と期待を込めた。
入団会見で袖を通したクリムゾンレッドの背番号は「18」。広島でもメジャーでも背負ってきた愛着のある番号だ。だが、前田健自身は葛藤もあったという。「正直、契約内容よりも悩みましたね。僕が着けるべきではないのかなと。やはりイーグルスの18番といえば
田中将大というイメージが、ファンの方にも球団の方にもあると思いますから」
25年に日米通算200勝を達成した田中将大(
巨人)はエースとしてその番号を背負い、13年には開幕から24連勝で球団初のリーグ優勝、日本一に大きく貢献するなど東北のファンから愛された選手でもある。大事な番号だからこそ、引き継ぐだけではなく結果でも背中でも受け継ぐ覚悟だ。
「ファンの方の中には18番を着けることに少し否定的な思いを持っている方もいるとは思うのですが、18番を着けて野球に取り組む姿勢だったりチームの勝利に全力で戦う姿勢だったりをグラウンドで見てもらいながら、少しでも認めてもらえるように全力で頑張っていきたい」

入団会見後にはグラウンドで出迎えたファン50人とハイタッチや記念撮影に応じ、活躍を誓った
広島、そして日本球界のエースとして君臨した10年前とは選手も野球のレベルも違う。加えてパ・リーグでの再出発は未知な部分も多い。だが、前田健にはこれまで培ってきた経験値と勝利への執念がある。「目標は日本一。それだけです」。4年連続4位からの脱却へ、そして13年以来の頂点へ。日米通算165勝のベテラン右腕が全身全霊をかけ、東北に歓喜をもたらす。
PROFILE まえだ・けんた●1988年4月11日生まれ。185cm83kg、大阪府出身。[甲]PL学園高-広島07[1]-ドジャース16-ツインズ20-タイガース24-楽天26。