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長谷川晶一 密着ドキュメント

第四十四回 「夢中になるって、すごい」石川雅規の“プロ生活25年”を目前に控えた心境とは/45歳左腕の2026年【月イチ連載】

 

今年でプロ25年目を迎えるヤクルト石川雅規。間もなく46歳となるが、常に進化を追い求める姿勢は変わらない。昨季まで積み上げた白星は188。200勝も大きなモチベーションだ。歩みを止めない“小さな大エース”。ヤクルトを愛するノンフィクションライターの長谷川晶一氏が背番号19に密着する。

昨年は8試合の登板で2勝4敗、防御率8.13だった石川


悲しみとともに始まった2025年シーズン


 気がつけばプロ生活25年目が始まろうとしている。45歳で迎えた2025(令和7)年シーズンを終え、石川雅規はすでに今の時期しかできないトレーニングに励んでいる。練習前のひととき、「プロ生活25年」を目前に控えた心境を問うと、笑顔がはじけた。

「本当にあっという間ですよ。夢中になるって、すごいですよね。本当にあっという間の出来事でしたから。心境は夏休みが終わる直前の小学生の気持ちです。今でも気持ちは小学生のままなんです。まさか四半世紀もプロでやっているとは思っていなかったけど(笑)」

 25年シーズンは波乱とともに幕を開けた。2月のキャンプイン直後、球団の衣笠剛会長が亡くなり、後を追うようにつば九郎を支え続けた担当スタッフが天に召された。

「会長には本当にお世話になったし、つば九郎とは常に一緒にいました。やっぱり、チームに欠かせない人たち、大切な存在を失ってしまうと、こんなに喪失感が大きいものなのだなって強く感じますよね。やっぱりあの頃はメンタル的にもしんどかったですね」

 その口調は静かに、そして次第に重くなる。

「“近くにいたかった”という思いがいちばんですよね。“ぱとろーるに行きましょうよ”って……」

 ひと言、ひと言、噛みしめるように石川は続ける。

「希望は捨てたくなかった。だから、知らせを聞いたときは、“どうして? 何で?”という思いだけでした。その思いはしばらくの間、消えなかったですね。だって、いつもいるはずの人がいないんですから。つばみちゃんも頑張っていたけど、つば九郎とつばみちゃんの兄妹がそろっているのが当たり前だったから、やっぱり寂しさは消えないですよ」

 石川にとっての2025年は、言いようのない寂寥感とともに始まったのである。

「冷静になり切れない悪い癖が……」


 2025年の石川は8試合に登板し、2勝4敗、防御率は8.13という成績に終わった。24年は1勝だったので、前年よりも白星は増えてはいるものの、もちろん納得できる成績ではない。25年シーズンを振り返ってもらうと、開口一番「楽しくなかった」と、石川は言った。

「プロなので個人成績はもちろん大切ですけど、まずはチームあっての自分なので、最下位に終わってしまったこと。それによって、高津(高津臣吾)監督がチームを去ることになったことに対して、一選手としてすごく責任を感じています。僕自身のコンディションはそんなに悪くなかったけど、序盤で打ち込まれる試合が多くて、一軍のゲームで全然投げることができなかった。ひと言で言えば、“楽しくなかったシーズン”でしたね」

 4月9日、5月4日と、いずれも甲子園球場での阪神タイガース戦で勝利した。幸先のいいスタートを切ったものの、それ以降は序盤で打ち込まれ、早々にノックアウトされる試合が続いた。石川は「5月18日」と、具体的な日付を口にした。

「5月18日のベイスターズ戦でしたけど、5回のマウンドに上がるまではよかったのに、そこから何連打も食らって負けてしまった。あの試合も忘れられないですね」

 味方野手陣の細かいミスやエラーが積み重なり、気がつけば大量失点を喫することになった。これまで石川本人が何度も口にしているように「ミスも含めて野球」であり、「味方のミスを取り返すのが投手の役目」である。当然、ミスをした選手を責めることはなく、責めるべきは自分自身である。

「動揺したわけじゃないけど、何年やっても焦ってしまうんでしょうね。すぐに自分に対してカッカしてしまう。そういう熱い気持ちがあるからここまで現役を続けてこられたのかもしれないけど、こういう思いがあるから熱くなって連打を喫してしまうのかもしれない。それは長所であり、短所であるんでしょうけど、冷静になり切れない悪いところが、このときは出てしまいました」

 先ほど石川は、「高津監督がチームを去ることになった責任を感じている」と口にした。現役時代から、公私にわたって世話になった先輩がユニフォームを脱ぐ。これもまた、衣笠会長、つば九郎に次ぐ、寂しい別れとなった。

「今の自分がいるのは、プロ入りすぐからお世話になった古田(古田敦也)さん、そして高津さんのおかげです。現役時代もお世話になったけど、監督になってからも日本一、セ・リーグ連覇と、選手としていい思いも経験させてもらいました。それなのに、ここ数年の僕は監督の力になることができなかった。だから、高津監督の神宮最終戦。この日、マウンドに上がったときは泣きそうになりました……」

悲しみを乗り越え、前向きな気持ちで


昨年の本拠地最終戦後に胴上げされた高津監督


 9月28日、神宮球場ではホーム最終戦が行われた。引退を表明していた川端慎吾の現役最終戦であり、同時に6年間指揮を執った高津監督の本拠地での最後の雄姿となる。この試合で石川は四番手として登板。打者一人を打ち取り、高津監督のラストに花を添えた。

「神宮最終戦で登板させてもらいましたけど、やっぱり泣きそうでした。高津監督は事前に(高橋奎二)奎二、ヤス(奥川恭伸)、そして僕の名前を出して、“この3人に投げてもらうつもり”と言ってくださった。たくさんの選手がいる中で名前を挙げてもらった僕ら3人は幸せだと思いますね」

 この日ユニフォームを脱ぐ高津にとって、現役時代から交流を続けてきた石川の名前を挙げるのは当然のことだった。だからこそ、ますます寂寥感は強くなる。衣笠会長、つば九郎、そして高津監督。去る人がいる一方で、石川は「残る」選択をした。2026年、石川にとっての25年目のシーズンが待ち構えている。

「シーズンが終わって、10月10日くらいからトレーニングは再開しています。頭の中では神宮球場のマウンドに立っている自分の姿がイメージされています。26年は、池山(池山隆寛)新監督が誕生して、新つば九郎も登場することが決まっています。現役を続ける限り、常に前を向いて進んでいかないといけないですから」

 つば九郎との思い出について語っていたとき、石川は「悲しい、悲しいとばかり言っているのはどうなのかな?」と口にした。いつまでも悲しんでばかりいるのは、はたしてつば九郎が望んでいるのだろうか? そんなニュアンスでの発言だった。

「これまでつば九郎が築いてきた思い出は、ファンのみなさんはもちろん、僕自身にとっても大切なものです。そして2026年からは新しいつば九郎が誕生する。僕はそれを楽しみにしています。決して、今までと同じ姿を望んでいるわけじゃないんです。今までのイメージにとらわれる必要はないし、ファンのみなさんもそれを望んでいるわけじゃないはず。新しいつば九郎として、みんなから愛される存在になってほしいですね」

 そして石川は最後に笑顔で言った。

「僕としては、新しいスタッフとして真中(真中満)さんにつば九郎になってほしいんですけどね(笑)」

 いつまでも同じところにとどまっているわけにはいかない。現役である以上、常に「前へ、前へ」と進んでいかなければならない。別れの悲しみを乗り越え、石川は進んでいく。2026年、プロ25年目に向けて、さらに前に進んでいく――。

(第四十五回に続く)

写真=BBM

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