監督就任から2年半、集大成となったワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ではベスト8で大会連覇の夢がついえてしまった。日の丸の重圧を背負ってきた指揮官は、果たして侍ジャパンに何を残したのか。 文=渋谷真[中日スポーツ] 写真=Getty Images
※情報は4月12日時点 人とは違う感性
敗退が決まった瞬間の侍ジャパンの
井端弘和監督の表情が印象的だった。声を出すわけでなく、うつむくわけでなく……。グラウンドで大騒ぎするベネズエラナインから視線をそらさず、敗戦の記憶を刻もうとしているように見えた。
監督就任から2年半。この大会にすべてを懸けていた。2023年のアジアプロ野球チャンピオンシップを制しても一喜せず、翌24年のプレミア12の決勝で台湾に苦杯をなめさせられても一憂せず、新たな候補者を招集してきた。集大成となる26年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ではメジャー・リーガー中心の編成になることは分かっていた。その周囲をいかに国内組で固めることができるか。いわば壮大なトライアウト期間でもあった。
選手としては北京五輪のアジア予選や第3回WBCに出場し、コーチとしても19年のプレミア12と21年に開催された東京五輪に携わった。選手・コーチのいずれも経験した侍ジャパンの監督は、
稲葉篤紀(現
日本ハムファーム監督)と2人だけ。生粋の侍は、まさしくNPBエンタープライズにとっても秘蔵っ子、切り札と言える存在だった。
堀越高から亜大という井端監督の経歴だが、源流は間違いなく「広商野球」である。堀越高時代の桑原秀範、亜大での内田俊雄という2人の恩師は、
広島商高の同期だ。技を極め、精神力を鍛え上げる。有名な「真剣の刃渡り」も高校時代に実践しており、令和の時代ではあり得ない経験を積んでいる。
加えてそのルートに乗せたのが、
野村克也氏というのも面白い。
ヤクルトの監督に就任する前の野村氏は、シニアリーグの指導に携わっており、相手チームの小柄な投手に目が留まった。強豪の自チームの練習にも特別に参加させ、息子の
野村克則が通っていた堀越高を紹介したのも、「進学したらショートをやりなさい」と勧めてくれたのも野村氏だった。
「人とは違う感性を持て」。数年後にはID野球でヤクルト黄金期を築く知将から、15歳でそう教わった井端少年は、体格やパワーのハンディを知恵と工夫で補った・・・
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