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【訃報】元近鉄監督・岡本伊三美氏が死去 南海では1953年首位打者&MVP

 

南海(現ソフトバンク)の黄金時代に内野手として活躍し、近鉄では監督を務めた岡本伊三美氏が4月15日に死去していたことが20日、分かった。95歳だった。
写真=BBM

84年から4年間、近鉄を率いた。監督通算239勝は球団歴代6位だ


 岡本伊三美氏がプロのユニフォームを着たのは1949年、テスト生として南海に入団した。ポジションは遊撃手。だが、当時の南海は“100万ドルの内野陣”と呼ばれた鉄壁の内野陣を形成し、遊撃は「名人木塚の後に木塚なし」と言われた木塚忠助が守っていた。そこで岡本氏が目をつけたのが二塁。レギュラーは監督を兼ねる“親分”山本一人(鶴岡一人)だった。

「二軍監督の岡村(岡村俊昭)さんが、『トシだから、もうちょっと我慢すればええ』って(笑)」

 狙いどおりに3年目の52年、104試合に出場してレギュラー定着。翌53年には打率.318でいずれも昭和生まれ初の首位打者を獲得し、MVPに輝いた。以降、不動の二塁手としてベストナインの常連になる。

 59年、4連勝した巨人との日本シリーズでは七番・二塁でフル出場。初戦で4安打、2本塁打、3打点を挙げるなど4連投のエース・杉浦忠を援護。シリーズ通算打率.400の猛打で技能賞を受賞したが何よりも際立ったのはその気迫だった。死球をファウルと判定した審判に「コノヤロー!」と食ってかかった場面では、あまりの剣幕に鶴岡監督がベンチを飛び出し「伊三美、口を慎め」となだめたほど。シリーズ中に巨人の水原茂監督が代打を出そうとした際、ベンチの選手たちが皆、目をそらしたという話を伝え聞くと「だから巨人はお嬢さんなんだ」と口にしたという。

シャープな打撃と堅実な二塁守備で南海黄金期を支えた


 63年限りで現役を引退すると、その後は南海、サンケイ(現ヤクルト)、阪神でコーチを務め、82年には近鉄一軍打撃コーチに就任。84年、関口清治の後を継ぎ、監督に昇格した。

 近鉄監督時代のハイライトは86年だろう。開幕前の下馬評は低かったが“猛牛フィーバー”を巻き起こして終始1、2位を堅持した。終盤、森祇晶監督率いる西武との優勝争いはプロ野球史上に残るデッドヒート。一進一退の展開の中で、10月7日に優勝マジック3を点灯させた。

 しかし、翌8日の阪急戦(藤井寺)、8回に同点に追いつきながら9回に石本貴昭が打ち込まれて3失点。64試合に投げ40セーブポイントの石本に、あまりにも負担をかけ過ぎた。逆にマジック2が西武に点灯すると、9日も阪急に連敗し、西武は勝利。129試合目(130試合制)で近鉄は力尽きた。「河内音頭野球」と呼ばれ、奔放なプレーを見せ続けたナインの目から涙がこぼれ落ちる。だが、岡本監督は「ここまで本当によく頑張ってくれた。みんな、胸を張れ!」と近鉄戦士を称えた。

 87年まで監督として近鉄を率い、仰木彬にバトンタッチ。99年から2001年の間は専務取締役球団代表となり、近鉄を支えた。

■年度別監督成績

PROFILE
おかもと・いさみ●1931年2月26日生まれ。大阪府出身。右投右打。京都第一工高(現京都工学院高)からテスト生として49年南海入団。二塁のレギュラーをつかむと、53年には首位打者とMVPを獲得。二塁手ベストナインには5度輝いた(52〜53、55、57、59年)。63年限りで現役引退。通算成績は1289試合、1018安打、125本塁打、513打点、182盗塁、打率.257。84年から87年までは近鉄監督を務めた。
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