世界的なスーパーヒーローのドジャース・大谷翔平。花巻東高時代から「超高校級」として、脚光を浴びていた。現在31歳。かつて、一緒にプレーした同世代の選手たちは、大谷の投打二刀流の活躍に刺激を受けながら、各方面で活躍している。 取材・文=佐々木亨 
社会人野球で4年プレーし、ユニフォームを脱いだ後はライフプランナーとして、ビジネスの世界で活躍している[写真=佐々木亨]
ラストゲームで意地の一発
金子凌也の実家は、ニンジンやゴボウなどの根菜類を扱う農家だ。現在は10代目である実兄が家業を継ぐ環境で、次男の金子は幼いころから自然と人生設計について考えさせられることが多かった。
「いわゆる経営家系ですが、家族をどう繁栄させるか、または土地をどう守っていくか。身近にそういうものを感じ、聞きながら育ちましたが、次男という立場もあって、小さいころから『人生は自分で切り開きなさい』と言われ続けていましたね」
野球を始めたのは、野球好きだった祖父の影響だった。自宅のテレビでは、
巨人戦がよく流れていた。「子どものころに見た
松井秀喜さんや
高橋由伸さんがかっこよかった」。小学生になると、すぐに野球チームに入った。
「祖父を喜ばすことができる。甲子園に出れば喜んでくれるんじゃないか、と。その延長線上で『プロ野球選手になりたい』と思っていました」
東京都にある清瀬三中時代に新座シニアでプレーした金子は、西東京の名門・日大三高へ進んだ。
「三高に入った時点で人生が変わりました。あのメンバーで野球ができて、のちに甲子園で優勝も経験できました」
2011年夏。2年生だった金子は、唯一の下級生レギュラー(一塁手)として全国制覇を成し遂げる。「みんなで優勝旗を返しにいく」。そう誓った3年夏も主将として甲子園に出場した。1回戦で聖光学院高(福島)に敗退するのだが、日大三高のユニフォームで挑む公式戦最終打席、0対2で迎えた9回表にバックスクリーン付近へ飛び込む豪快な一発を放つ。金子にとっては、節目となる高校通算30本目のホームランだった。
「甲子園が始まる前に、母親に『ホームランを打ってきます』と誓っていたんです。チームとして負けたのは悔しいですけど、約束を果たせたことは良かった」

2012年、3年夏の甲子園1回戦[対聖光学院高]で、バックスクリーン付近へ豪快な一発を放った[写真=BBM]
殻を破った瞬間
世代を代表する左のスラッガーとなった金子は、U18世界選手権大会(現U-18W杯)に出場した。同じ高校ジャパンのメンバーだった大谷翔平(ドジャース)や
藤浪晋太郎(
DeNA)といった、のちにプロ野球やメジャーで活躍する同級生たちは刺激的だった。
「すごいメンバーでしたね。ピッチャー同士で大谷君と藤浪君が一緒に遠投をしていたんですけど、彼らの投げる球はすさまじかった。低い弾道で100メートルぐらいを投げ合っていたその光景は、よく覚えています」
大谷について、当時を思い起こして金子が言葉を加える。
「今思えば、あんな偉人の方と一緒に野球ができたことはうれしいところはありますけど、当時は今のような選手になるとは思っていませんでした。確かに、当時から投げる球はすごく速かったし、足も速くて能力はとんでもなかった。ただ、どちらかと言うと、当時の印象はおとなしいというか……。今のように体全体で表現するようなイメージはなかったので、どこかのタイミングで、彼の中で殻を破った瞬間があったんじゃないかなと思っています。それぐらい、今は印象が変わりましたね」
高校時点での大谷を、金子は「完全に投手」として見ていた。
「投手としてプロですごくなるのかなあ……」
ゆえに「まさか打者として、あんなになるとは……。それぐらいバッティングが変わった印象があります」とも言う。
ただ、一緒にプレーすることで内に秘めた大谷の能力は感じ取っており、メジャーを舞台に投打で活躍する今の姿も大きな刺激となっているようだ。
「大谷君もそうですが、同世代って一生つきまとうものですよね。彼らが活躍してくれると、勝手に僕らの価値も上がるというか。『大谷翔平世代です』と言えば、だいたいは分かってもらえる。それもまたうれしいことですね」
不安よりもワクワク感
日大三高を卒業後は、東京六大学の法大でプレーした。1年春のリーグ戦から出場するも、ケガの影響もあって、浮き沈みの激しい時間を過ごした。4年春に首位打者とベストナインを獲得して、ハーレム・ベースボールウィークでは首位打者とMVPに輝く活躍を見せた。だが、再びケガに見舞われ、プロ志望届を出したがドラフト会議で指名されることはなかった。
Honda鈴鹿へ進むも、追い求めていたプロ野球の扉が開くことはなかった。自らの意思で、20年限りで現役を引退する。わずか4年の社会人野球生活は、傍から見れば、早過ぎる決断だったが、金子には明確な思いがあった。
「プロを目指す中で、社会人野球3年目にケガもあって潮時かな、と」
野球のキャリアを終えたとき、金子は思った。
「良い意味でも悪い意味でも、野球だけをやってきた人生。正直、悔しさはありました。ただ一方で、野球を終えた先の未来を考えると、不安がありながらも、ワクワク感がありました」
もともとが「未来を描くことが好きで得意なタイプだった」と言う。21年からは、Honda鈴鹿を退社してライフプランナーとしてビジネスの世界で働く。
「経営者の方々や地主さんなどと伴走して、未来を鮮明にイメージしてもらいながら一緒に人生設計を描いていく。そういう中で、一貫して変わらないことは、家族や周りの人たちをどう豊かにするか、どうしたら喜んでもらえるかという思いです。そこだけは、これからも変わらない軸として生きていきたいと思っています」
今年32歳を迎える同世代の存在もまた、変わらないモチベーションとなっているようだ。
「特に一緒に野球をやった仲間は、何かしらの縁があると思っているので、彼らが困ったときに手を差し伸べられるような自分でありたい。そのために仕事におけるスキルや知識、そして人間的な部分も高めていきたい。常にそういう状態でありたいと思っています」
人の夢や人生設計に寄り添う。そして、それぞれが「人生を切り拓く」手助けとなる仕事を担う金子は今、自らも切り拓いた人生を、やりがいとともに歩んでいる。
PROFILE かねこ・りょうや●1994年6月4日生まれ。東京都出身。180cm83kg。右投左打。清瀬三中時代は新座シニアでプレー。日大三高では2年夏の甲子園で唯一の下級生レギュラーとして全国制覇。3年夏の甲子園出場後は大谷翔平(ドジャース)らとともにU-18日本代表として世界選手権大会(6位)。法大では1年春のリーグ戦でデビューし、ケガに悩みながらも4年春には首位打者。ハーレム・ベースボールウィークでは首位打者とMVP。17年に入社したHonda鈴鹿ではケガの影響もあって20年限りで引退。21年からはライフプランナーとして活躍している。