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【訃報】横浜高元監督・渡辺元智さんが死去 甲子園春3度、夏2度優勝 高校野球を愛した教育者

 

2015年、取材時に色紙に書いていただいた座右の銘[写真=BBM]


 今夏の甲子園大会期間中、元名将の訃報で、聖地は悲しみに包まれた。春3度、夏2度の優勝へ導いた横浜高元監督・渡辺元智さんが8月17日、病気のため81歳で死去した。

 1944年生まれ、神奈川県出身。横浜高から神奈川大に進むが、肩の故障で野球を断念して中退。65年春に母校のコーチ、68年、23歳で監督に就任した。その後、教員免許取得のため、関東学院大に通った。73年春に初めてセンバツへと導くと永川英植(元ヤクルト)を擁して初優勝、80年夏は愛甲猛(元中日ほか)がエースとして君臨し初の全国制覇。「平成の怪物」と言われた松坂大輔(元西武ほか)がいた98年は史上5校目の春夏連覇を遂げた。新チーム結成から、国体まで公式戦44連勝という偉業を打ち立てた。06年春のセンバツも制して70〜00年代のすべてに優勝経験がある唯一の監督だ。

 15年夏の神奈川大会(準優勝)限りで、50年に及ぶ指導者生活にピリオドを打った。激戦区・神奈川で春夏を通じ27回の甲子園出場へ導き、積み重ねた甲子園での白星は歴代5位タイの51勝。横浜高で同級生だった名参謀役・小倉清一郎氏との二人三脚の名コンビで、名門の土台を築いた。プロ野球へも多くの卒業生を輩出したことでも知られているが、根底には生徒と真正面から向き合う「人間教育」があった。

 監督勇退以降も、母校を気にかけてきた。2020年4月からチームを率いる村田浩明監督には、特別な思い入れがあった。19年秋、元部長と前監督による不祥事の発覚に激震が走った。学校側はすぐさま事実確認をした上で、双方を解任。17年からコーチだった高山大輝コーチ(現部長)が監督代行を務め、男女共学化される翌春の新年度に合わせ、後任監督の選任に動いていた。4月1日、新監督に3月31日まで白山高に勤務していた村田氏が就任。神奈川の県立高校を指揮していた村田監督を「母校再建」のため、強く推薦したのが、恩師である渡辺さんだった。就任以降は教え子である村田監督の「後ろ盾」として、気にかけてきた。

 渡辺さんの座右の銘は横浜高の創立者・黒土四郎先生の言葉だった。

「富士山に登る、第一歩。三笠山に登る、第一歩。同じ一歩でも覚悟が違う。どこまで登るつもりか。目標がその日その日を支配する」

 渡辺さんは今夏の神奈川大会も観戦に訪れていた。7月26日、桐光学園高との決勝を制し、県公式戦39連勝、6季連続優勝、県勢初の4季連続甲子園。試合後には、笑顔で取材に応じた。

「村田がやってくれました。いい顔をしていました。村田の考えを、選手たちが理解している。いい形だと思います」と、教え子の成長を心から喜んでいた。以前よりも痩せており、杖を手放せないのが気になった。

 8月17日。横浜高は花巻東高(岩手)との準々決勝を翌日に控えた「休養日」で、大阪市内の球場での練習中には、部員全員で黙とうをささげた。18日に勝利し、試合後の監督インタビューで、村田監督は冒頭から涙が止まらなかった。「自分の人生を変えてくれた渡辺監督さんが昨日の朝、お亡くなりになられたという連絡が来て、すごいショックで……。ですけれども、選手たちには監督さんのためにしっかりやろうと、本当に一生懸命やってくれて、相当なプレッシャーがあったんですけど、監督さんが甲子園の空から応援してくれて、選手たちが本当に一生懸命やってくれた。監督さんに勝利を届けられて、何とか優勝を届けられるようにやらなきゃいけない」。

 智弁和歌山高との準決勝で敗退し、1998年以来の夏の全国制覇はならなかった。村田監督は言った。「この負けからまた這(は)い上がっていくのが横浜高校の歴史と伝統だと思いますし、渡辺監督さんも『そんな甘くないぞ』というようなメッセージをくれているのかなと思います」。渡辺さんは「敗北や挫折こそが、人間的成長の糧」という指導哲学を掲げていた。「栄光より挫折、成功より失敗、勝利より敗北から学びなさい」とも語っていた。高校野球を愛した教育者が遺(のこ)した言葉を胸に秘め、村田監督は、横浜高校野球部の歴史と伝統を継承することを固く誓っている。(文=岡本朋祐)
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