7月28日、午後4時27分ころ、熊本県熊本地方を震源とする最大震度7の地震が発生した。2016年の熊本地震から10年、再び、多くの人たちが被災。いまも余震が収まらず、震災被害も続き、復興もままならない。甚大な被害を受けた、八代市内にある県立高校野球部の現状を追った。 取材・文=前田泰子 写真=上野弘明 
熊本県立八代工業高等学校は八代市立八代工業学校として1944年に開校。甲子園は79年春のセンバツに出場している[高知商との1回戦で敗退]。熊本地震後、8月22日に練習を再開。仲間との絆を再確認した
野球どころではなかった
今回の熊本地震で大きな被害を受けた八代市。市内のあちこちには屋根にブルーシートが張られた家が見られ、市民に「妙見さん」と親しまれている八代神社は、倒壊した楼門のそばに断層の裂け目が走っていた。
市内の中心部にある八代工も例外ではない。校内は大きな崩れはなかったが、野球部のグラウンドの周囲にも屋根をブルーシートで覆う家が並んでいる。学校の近くの球磨川にかかる植柳橋は橋桁が落ちたままだ。普通の練習風景に見えるが「もっと声を出して練習に活気が欲しいんですけど……」と選手の動きを見ながら横馬場徳貴監督はつぶやいた。
7月28日、夏の熊本大会3回戦で熊本工に敗退後、スタートしたばかりの新チームは熊本国府との練習試合を終え、マイクロバスで学校に戻る途中で地震に遭った。突然バスが大きく揺れ「車の中でも大きな揺れを感じるほどでした」。すぐに保護者と連絡を取り、学校へ戻る途中で自宅が近い順にバスを降り保護者と合流した。「ドライバーをしてもらっていた保護者と子ども、親同士が連携を取り確実に各家族へと引き渡すことができました。本当にありがたかった。3年生も全員無事が確認されました」。全員がそろい安全が確保されていたのは不幸中の幸いだった。
当然、翌日から練習は休止となり、夏休みは一切の学校の活動が禁止され、校内への立ち入りも禁止された。八代市や宇城市、宇土市など被害の大きかった地区は、水道、電気などのライフラインも止まっていた。「実際、生活することに精いっぱいで野球どころではなかった」と言う横馬場監督の宇城市の自宅も水道はしばらく止まったままだった。県外の選手が多い秀岳館は寮を閉鎖し、部員を自宅へ帰していたという。
避難所生活の実情
部員の中には避難所に身を寄せた選手もいる。武本琉
愛斗主将は自宅が全壊。震災から両親と3人の弟と祖母の7人で近くの公共施設の避難所で生活している。あの日、練習試合から自宅に戻ると・・・
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