2008年に高校生ドラフト3巡目で入団後、13年に初めて規定打席に到達し、頭角を現す。リーグ優勝、日本一ともに8度貢献した。“レフティースナイパー”の愛称を持つバットマンは六番・一塁で先発出場し、最後の勇姿を地元ファンに見せた。 文=田尻耕太郎(スポーツライター) 写真=湯浅芳昭 
試合終了後にセレモニーが行われ、感謝の気持ちを述べた
勝ちにこだわる
朝目覚めたらベッドの上で体が動くか確かめる。そんな習慣もこの日で終わる。プロ野球選手として迎える、最後のプレーボールは午後2時。9月27日、ホークス一筋19年の
中村晃が、みずほPayPayでの
オリックス戦で引退試合に臨んだ。
ドームには早朝から多くのファンが詰めかけた。「大通りから左折できないくらいの大渋滞。早い時間からたくさんの方が来てくれたことも含めて、普通ではない一日だなと思いました」。中村晃はまだ暗いグラウンドに現れた。外野へ向かい、そして走る。やがて選手たちがそろうと緑の人工芝は明るいLEDライトに照らされた。
全体練習前のアップの締めくくりは
牧原大成とのキャッチボールだ。ここ数年はそれがお決まりだった。それから一塁でノックを受けて、いったんダグアウトに戻りヘルメットをかぶってバットを手に出てくる。まずは走塁。それから必ずバント練習をしてから、ティー打撃とフリー打撃に向かっていく。
「練習自体はいつもどおり、作業みたいな感じなので」
体はそうだった。だけど心は違った。
「朝から泣きそうになりながら過ごしていました。本当に一つひとつの出来事が最後なんだと思うと。マッキー(牧原大)とのキャッチボールもそうだしクリ(
栗原陵矢)が練習中から1人だけ、僕のTシャツを着てくれていたのも」
試合は六番・一塁で先発出場した。“主役”を挟むように五番に
柳田悠岐が入り、七番には
今宮健太が座った。長いプロ野球人生をずっと同じチームで歩んできた「戦友」と表現する2人だ。
小久保裕紀監督の粋な計らいだった。
第1打席は初回に回ってきた。柳田がヒットを放った直後の二死一塁。あのイントロが流れる。爽やかで跳ねるようなメロディーの正体は世界的歌手のエド・シーランの代表曲『Shape of You』。大歓声に背中を押されて打席に入ると、
高島泰都の2球目のツーシームを右中間に運ぶ二塁打としてチャンスを広げた。通算1522本目の安打も中村晃らしいしぶとい打撃だった。
その後4打席目まで凡退。迎えた5打席目はホークスにともに高卒で同期入団した
岩嵜翔が1人限定で登板し、対決が用意された。しかし150キロの直球を打ち上げて捕邪飛。一度は悔しげにダグアウトに戻るも、近寄ってきた岩嵜に気づいてグラウンドに引き返して抱擁。これが現役最終打席となった。
「本当に『絶対に打ってやる』という気持ちでいったんですけど、負けました。でも最後に同級生の翔と勝負をして終われた。あらためて最高の野球人生だった」

ドラフト同期入団の岩嵜翔と現役最終打席で対決し、最後に握手をした
現役最後の安打についても水を向けてみた。だが、苦笑いしてその後凡退した打席について語り始めた。
「やっぱり真っすぐをはじけなかった。『今までならば』と思いながらやっていました。やっぱり衰えたというか、いいときならばもっとできたなというのを感じながら、やっていましたね」
7月3日に今季限りでの引退を発表。潔い会見だった。しかし、引退試合のスピーチで「実はその後も葛藤があった」のだと明かした。
「だけど、僕の基準はホークスのレギュラーとしてプレーをする、出場する、それを続けることができるかだったと思います。自信を持って『できる』と言えなくなったのが、一番の引退の原因。あらためてそれを再確認した感じです」
小久保監督はポストシーズンまで戦力として計算していることを公言した。中村晃もそのつもりで準備をし、当初は引退セレモニーだけを執り行う予定だったが、自分の意思を首脳陣や球団に伝えて、この日限りでユニフォームを脱ぐことを決めたのだった。
引退試合とは、チームよりも自分のためが許される、めいっぱい純粋に最後に野球を愉(たの)しめる特別な一試合だ。中村晃もこの日だけは「本当に愉しめました」と笑顔を浮かべた。
だけどこうも言っていた。
「やっぱり、勝ちたい」
試合に勝つだけではない。チーム内の競争に勝つ。そのために自分自身にも勝つ。とにかく勝つことに捧げた野球人生。最後の試合も大勝だった。寡黙なキャラが定着している中村晃だが、とびっきりの笑顔で、勝利の輪の中で仲間たちとハイタッチを繰り返していた。