
10月15日に会見を開いた織田。世界一の投手になるために、アメリカ挑戦を表明した[写真=大賀章好]
「世界一」への挑戦
10月15日、
織田翔希(横浜高)が同校で進路に関する記者会見を開いた。
「単刀直入に。昨日までの各球団の皆さまとの面談でもお伝えさせていただきましたが、自分の最終目標である『世界一のピッチャーになる』『世界で活躍する』という目標に向けて、アメリカの地で挑戦することに決めました」
ドラフト会議を1週間後に控え、甲子園通算15試合87回に登板し、9勝2敗、防御率1.66を記録した今秋の超目玉が海を渡る決断をした。織田は10月11日からNPB各球団との面談を実施し、前日14日までに終了していた。それでも、18歳の少年が抱く大きな夢が揺らぐことはなかった。

秋の国スポが高校野球最後の登板となった[写真=藤井勝治]
このタイミングでメジャーに挑戦する最大の理由は、「言葉の壁」だった。「このタイミングでアメリカに行く理由としては、やはり一番の困難である言葉の壁という部分が大きいです。若いうちから生の英語に触れることによって、メジャー・リーグに上がった際に、自分の意思をしっかりとチームに伝え、意思疎通を図れるようにしたい」と、近年もMLBに挑戦する際に言語が大きな壁となっている現状に、いち早く現地の言葉に触れ、慣れていくことを目指していく。
また、MLBは現行の労使協定が12月1日に失効するが、期限までに新たな労使協定が合意に至る可能性は低く、ロックアウトに突入する恐れがある。その場合は大学進学も視野に入れる。
NPBでプレーすることにも魅力を感じていたと言うが、「世界一の舞台でプレーしたいという思いが、一番、背中を押してくれた」と話す。そしてこう続けた。
「たくさん悩んで、本当に多くの方々とお話をさせていただきました。すごく悩みましたが、やっぱり一番は自分の気持ちです。世界一の舞台でやりたい、世界一になりたいという思いがあったので、決めました」
繰り返された「世界一」という言葉。どんなに高い山にもひるむことなく、突き進んでいく。
各球団の対応は?
一方、ドライチ候補がアメリカ挑戦を表明したことで、NPB各球団の考えられる対応は二つ。一つは、このまま静観し、織田をアメリカへ快く送り出すこと。もう一つは、ドラフト1位の枠を失う可能性があるなかで、織田を強行指名することだ。
2012年のドラフト会議では
大谷翔平(現ドジャース)がメジャー挑戦を明言していたが、
日本ハムが強行指名し、入団にこぎ着けたことがあった。今回も織田が入団する可能性は「ない」とは言い切れず、各球団がどのような選択をするのか注目が集まる。
織田翔希、会見冒頭全文

アメリカ挑戦を表明した織田
まず初めに、このような場を設けていただき、そしてお集まりいただき、ありがとうございます。
もう単刀直入に。昨日までの各球団の皆さまとの面談でもお伝えさせていただきましたが、自分の最終目標である「世界一のピッチャーになる」「世界で活躍する」という目標に向けて、アメリカの地で挑戦することに決めました。
このタイミングでアメリカに行く理由としては、やはり一番の困難である言葉の壁という部分が大きいです。若いうちから生の英語に触れることによって、メジャー・リーグに上がった際に、自分の意思をしっかりとチームに伝え、意思疎通を図れるようにしたい。そこが一番の理由かなと思います。
横浜高校に入学してからは、1年生のころから(村田浩明)監督さんにたくさんの試合を経験させていただきましたし、さまざまな舞台で投げてきました。まずは「日本一になるんだ」という夢を持って横浜高校に入りました。
チームの仲間にも支えられ、たくさんの方々にも支えられて、最後の最後までやり切ることができました。そして、次は世界一を目指し、世界の舞台で絶対に戦いたいという気持ちが芽生えてきました。
今の自分がここにいることも、こうして結果を残せたことも、本当にたくさんの方々の支えがあったからこそだと思っています。横浜高校の関係者の皆さんもそうですし、家族のみんな、チームメート、友達、そういった方々への感謝の思いは絶対に忘れずに、これからも戦っていきたいと思っています。
アメリカ挑戦については、マイナー・リーグもそうですが、大学への進学も考えています。
小さいころはNPBでプレーすることを夢見ていました。本当に素晴らしい球団がたくさんありますし、そこでプレーしたいという思いがありました。ただ、横浜高校で素晴らしい舞台を経験し、活躍することができたことで、さらに夢の舞台で活躍したいと思うようになり、アメリカでの挑戦を考えるようになりました。
今まで本当に高いレベルで野球をやってこられたと思っていますし、自分がやってきたことは間違っていなかったとも感じています。
どの道に進んでも、やるべきことは変わりませんし、自分が頑張って、さらに上を目指していくことにも変わりはないと思っています。
横浜高校で培ってきたこと、そしてたくさんの方々の思いも背負って、アメリカの地で挑戦したい。そう考えて、今回の決断に至りました。