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社会人企業チーム REPORT

セガサミー野球部が廃部 強豪として歩んだ21年の歴史に幕、最後の日本選手権出場かなわず

 

京セラドーム切符まであと1勝が届かず……。SUBARUに続いて日産自動車との代表決定戦でも敗退


 紡いできたセガサミーの部史が終わろうとしている。第51回社会人野球日本選手権大会関東代表決定戦の9回表だ。対するは、2025年に再び野球部の歴史が動き出した日産自動車である。

「廃部」と「復活」の言葉が交錯するマッチアップに、何とも言えぬ感情が去来する。

 3点を追う展開で、四番に座る谷口嘉紀(近大)が中前打で出塁した。高本康平(国学院大)が右前打で続き、無死一、三塁。その好機で、中川智裕(近大)が右前へはじき返して2点差に詰め寄る。新型コロナ禍の20年に入社した7年目の中川は、5回表にソロ本塁打。7回表には2点二塁打を放ち、9回表の第4打席で、この試合だけで4打点目となる適時打を放った。

入社7年目の中川は日産自動車との代表決定戦で4打点と意地を見せた


 なおも、犠打で一死二、三塁と攻め立てる。等々力球場の一塁側スタンドに陣取るセガサミーの応援が、熱を帯びていくのがよく分かった。だが、廣岡隆成(東洋大)がサードゴロに倒れて二死。そして、片岡大和(近大)が一ゴロに打ち取られて、勝敗は決した。4対6。セガサミー野球部としてのすべての戦いが終わった瞬間だった。

熱烈応援団の後押し


 05年創部のセガサミー野球部を運営するセガサミーホールディングス株式会社(本社・東京都品川区)が、野球部の26年シーズン限りでの「廃部」を表明したのは今年5月14日のことだ。都市対抗東京都二次予選が始まる約1カ月前の突然の発表だった。都市対抗には14回出場して、東京ドームでは3度(18年、20年、21年)のベスト4。日本選手権には6回出場して、14年に準優勝を手にしたセガサミーの「廃部」は、社会人球界全体にとっても衝撃だった。

 強豪チームとして名を馳せ、ファンからも愛されたセガサミーのラストシーズンを、この目に焼けつけたい。結果的に本大会出場を逃すことになったが、今夏の都市対抗予選には、そんな多くの人々がセガサミーの戦いを球場で見守った。日本選手権予選でも、その光景は変わらなかった。茨城日産との初戦は、セガサミーの応援団であるルーターズの熱気にも後押しされて、チームは10対0の7回コールドで勝利した。

「勝ったことが、すべてです」

 チームを率いる佐藤俊和監督(専大)は語り、言葉を加えたものだ。

「高本の先制弾もそうですが、先発した樫村(樫村佳歩、立正大)が初回をしっかりと抑えたことが大きかったですね。今日は点を取れたことが良かったですし、投げるべき人がしっかりと投げた。次はSUBARUさんが相手ですが、一戦必勝で挑むしかありません」

 12年目のシーズンを戦う須田凌平(立正大)は、チームに宿る勝利への執念を感じ取っていた。

「今予選直前に行った明治安田とのオープン戦でも、5点ビハインドの中で終盤にかけて7点を奪って逆転しました。たとえ劣勢でも『勝てる』という空気が、その試合にはありましたし、今日の試合も同じような感じで戦えたと思います」

 歴史を終わらせない。セガサミーの誰もがそう思い、日本選手権の本戦まで仲間とともに戦うことを願っていた。

等々力球場で行われた日産自動車との代表決定戦。スタンドには大勢のファンが応援に足を運んだ


 だが、代表決定戦で、その思いは打ち砕かれる。SUBARUとの代表決定戦では、試合前半までに6点のビハインド。6回裏に高本の適時内野安打で1点。7回裏には、谷口の適時二塁打で2点を返して、一時は3点差に詰め寄るが、終盤にも失点を重ねて3対9で敗れた。試合後の佐藤監督は言った。

「都市対抗の予選も含めて内野のミスで点を取られることを課題としてやってきましたが、ミスで先制点を許し、その後に2ラン。さらにソロホームランで4点目。結果的に流れを止められなかった。守りから相手に流れを渡した部分がありました」

 投手を含めたディフェンスの課題を口にした。そして、敗者復活で挑む2度目の代表決定戦となる日産自動車との一戦に向けて、こう語ったものだった。

「もう一回、切り替えて臨むしかない。明日、負けたらすべてが終わる戦いがある。悔いのないようにやるしかない。最後は選手一人ひとりが結果を残すしかない」

受け入れ難い現実


 崖っぷちに立たされた日産自動車戦も、序盤から失点を重ねた。2回裏に先制点を奪われると、3回裏には守備の乱れも加わって3失点。3イニングを終わった時点で4点を追う苦しい展開を強いられる。

「踏ん張り切れなかった」

 茨城日産戦に続いて先発を託され、5回裏までマウンドに立ち続けた樫村は悔いた。中盤から攻撃陣が奮起して一時は1点差にするのだが、最後まで主導権を握ることができずに試合を終えた。敗戦が決まった瞬間を「受け入れ難いものがあった」と振り返りながら、佐藤監督は言った。

「この日がいつか来ることは分かって過ごしてきたんですが……。勝ちをつけられなかったのは、監督の責任です。都市対抗を含めた二大大会で本戦に出場できずに、廃部の年に悔しい思いをして、応援してくださった方々に悲しい思いをさせてしまいました。ルーターズを含めた応援団、セガサミーを応援してくださった方々に申し訳ない気持ちがありますし、今は『ありがとうございました』という気持ちです」

 セガサミー野球部の初代主将でもある佐藤監督が、歩んできた日々をかみしめる。そして、21年前から始まった記憶の数々に視線を送りながら言葉をつなげる。

「青島健太監督から始まり、21年目の年に私が監督となり……。今年で野球部が廃部となり、その歴史を終わらせてしまうのはつらいです。監督として未熟な私でしたが、選手たちは最後までよくやってくれました」

日産自動車との代表決定戦で敗退後、等々力球場の場外で佐藤監督が“最後”のミーティングを行った


 セガサミー野球部の最後の主将となった北川智也(福井工大福井高)は「これまでいろいろな方がつないでくれたチーム。ここで終わらせるわけにはいかないと思って臨みました。最後は日本選手権に出場して終わりたかった……」と言い、遠い空に視線を送った。

 セガサミーの21年間。その激闘の歩みは、静かに終わりを告げた。(取材・文・写真=佐々木亨)
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