昨年は大逆転での開幕スタメンから、右ふくらはぎ肉離れで離脱。ベンチスタートも多かったが、ドラスティックに打撃フォームを変えた。母校・東海大甲府高のチームメートで、人気野球スクールを主催する白川峻也さんとつくりあげた。
沖縄のAgureスタジアム北谷で自主トレを行った。「150キロぐらいだったのが、ずいぶん速くなったでしょ」。背番号3がはにかむ。速さは打球速度。手元のガンに映された数値は185キロ。ドジャース・
大谷翔平クラスは、いくらなんでも多少の誤差が出たからか。とはいえ、高橋周も周囲も打球速の変化は感じていた。
口癖の「もういいよ」は消えた。直近数年間は、やらされていた。納得とは遠く、周りの指示を聞き入れていた。それが出場への絶対条件だったから仕方がなかった。気持ちはしぼみ、シーズン最終盤にはオフのことばかり頭の中をかけめぐった。
昨季オフに白川さんのアドバイスを受けて、構えを高く変えた。ヘッドを捕手方向から投手方向へ変えた。オープン戦で結果を残し、開幕スタメンを手にした。だが、ケガもあった。これは自身のせい。開幕戦で猛打賞した勢いでシーズンを駆け抜ける以外、フォーム再変更の指示から逃げる手段はなかった。
「やっぱり、進化しなくちゃいけないよね」。自主トレでは、同僚で東海大甲府高の後輩・
濱将乃介に伝えた。自らに言い聞かせるようだった。井上政権でチームは変わった。爆発する時は今。今年の高橋周はひと味もふた味も違う。
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