似てますか? 本物のディマジオと和製ディマジオのご対面。 バッティングで対照的だったが・・・ ヤンキースの至宝、ジョー・ディマジオは何度も来日した親日家だった。最後の来日は、75年の
ロッテのキャンプで臨時コーチを務めた時ではなかったろうか。現役時代から親交のあったロッテ・
金田正一監督が招いたのだが、筆者はそのキャンプで初めて本物のご尊顔を拝した。ディマジオは、この年61歳。頭はすっかり真っ白で、やや猫背。身長が、金田監督(184センチ)よりかなり低いので意外だった記憶がある。
それでも、ロッテの外国人選手たちにとっては、神のような存在だったようで、金田監督に対してはヘラヘラしていた
ジム・ラフィーバーもディマジオの前では、それこそ直立不動で極度の緊張状態にあるのがハタから見ていても分かった。
ディマジオが初めて来日したのは50年。初めて行われる日本シリーズで始球式の打席に立つためだった。当時の日本は、メジャー・リーガーと言えばディマジオの時代。その彼がやってきたので大フィーバー。
50年の日本シリーズは、毎日―松竹の戦いとなったが、松竹には“和製ディマジオ”と言われる選手がいた。それが
小鶴誠外野手(写真右)。この50年に、日本人初の50本の大台に乗せる本塁打(51)を放ち、打点も161で二冠を獲得、MVPに輝いた。風貌が似ているというので先の仇あだ名な がついたのだが、似ているかどうかは読者の判断にお任せするとして、バッティングは対照的だった。あの56試合連続安打を放った41年のディマジオのバッティングはスタンスが広くレベルスイング。小鶴はゴルフスイングと言われるアッパースイングで、すくい上げる打法。ディマジオは日本の選手を指導した際、
「バットは水平に振れ。ホームランよりダブル(二塁打)だ」と強調した。ディマジオは54年、新妻のマリリン・モンローとともに3度目の来日をしたが、モンローばかり注目されるので、不機嫌だったそうだ。
文・岡江昇三郎