「野球の技術習得は長し。されど野球人生は短し。」 この悲哀とはまったく無縁だった天才・張本勲 書籍というのは、その中身もさることながら装丁も大事である。その昔、「青山二郎の装丁なら何でも買う」という人がいたが、筆者の学生時代は「栃折久美子がいい」という同級生が多かった。2人は書籍装丁史上に残る名人だが、筆者の蔵書の“お宝”は、1941年(昭和16年)発行の哲学者・九鬼周造の『文藝論(ぶんげいろん)』(岩波書店)だ。
モスグリーンよりやや濃い緑のハード表紙のヘリを「ARS LONGA VITA BREVIS」のラテン語が取り巻く。これが実に効いている。俗に「芸術は長し、人生は短し」と訳される名言なのだが、これは正しくは「医学の技術を修得するには人生は短かすぎる」ということらしい(ヒポクラテスの言葉のラテン訳?)。目次、奥付に装丁者の名がないのが残念なのだが。
それはともかく、野球も「アルス・ロンガ、ビタ・ブレビス」である。何とかしてうまくなろうと思っているうちに、野球人生が終わってしまうそんな感じではないだろうか。
しかし、真の天才は、こんな哀感とは無縁らしい。3000本安打の張本勲(東映ほか)に、
巨人に移った76年、自主トレで話を聞いた時、ハリやんは「カーブなんか初めから打てた。グッとタメることが自然にできた」とアッサリ言った。
浪商高では、不祥事のため甲子園に出られなかった。その悔しさをプロでぶつけたのだが、張本は、実は浪商が第一志望ではなかった。地元・
広島の名門、広島商高だった。広島のラツ腕スカウトだった故・木庭教さん(広商OB)は「中学時代の成績なら彼は十分広商に合格できた。それが複雑な事情で、受験をあきらめざるを得なかった。入ってたら甲子園に行けたなあ」と話したことがあったが、張本の高校3年間に広商は春夏3回出場。
まあしかし、張本が広商に進んだら、のちの彼があったかどうかは神のみぞ知る、だ。写真は貴重な浪商時代の1枚。
文・大内隆雄