
文=平野重治
このところ「SEALDs」を中心に政治的デモンストレーションが復活の気配だが、全共闘世代としては注視せざるを得ない。思えば学生時代はよくデモに行ったものである。ヘルメットはかぶらなかったから(頭がデカすぎて合うものがなかった)、結構危なかった。いつだったか、立教大にデモをかけたとき、池袋駅の西口で機動隊員に、ラグビーのハンドオフのような形で突き飛ばされ、頭から地面に倒れたことがあった。彼は右手1本でチョコンのつもりだったろうが、ものすごい力だった。「これは彼らとはまともにケンカできない」と悟ったものだった。
プロ野球選手も腕っぷしが強い。この写真をご覧下さい。1989年の
ロッテ・ディアズ外野手です。このポパイもビックリの右腕は、腕周り何と35センチ! ついたアダ名が“ランボー”。この腕から繰り出されるパンチなら、シルベスター・スタローンとも互角に戦えそう。ディアズのサイズは188センチ、99キロというド迫力ボディー。しかも、キャッチャーをやるというのだから面白い。2年目の90年は、15試合にマスクをかぶっている。「的が大きくて投げやすい」と投手陣には好評だったそうな。
とにかくその腕力はものすごく、狭い川崎球場なら、この右腕1本で右にも左にもホームランをポンポン。投手はホームランにも困ったが、ポテンヒットにも困らされた。「打ち取った」と思った打球でも、その腕力で内野と外野の間にポトリ。ディアズは1年目の6月に打率.318、9本塁打、27打点で月間MVP。この年は、39本塁打、105打点、打率.301の堂々たる成績を残した。2年目も33本塁打、101打点、打率.311(3位)。とにかくタフな男で、2シーズンで休んだのは、わずか2試合。
しかし、
金田正一監督や
八木沢荘六監督と相性が悪かったのか、91年からは成績がガタ落ちで、千葉に本拠地が移った92年限りで退団した。
忘れていた。89年4月23日のダイエー戦で
山内和宏投手の死球に怒り暴行、退場となったのだ。これは、選手としては平成の退場第1号だった。