
文=大内隆雄
2016年はサル(申)年。プロ野球には、1920年の申年生まれの大監督が3人もいる。
川上哲治(
巨人)、
西本幸雄(大毎、阪急、近鉄)、そして、
別当薫(毎日・大毎)。川上1066勝、優勝11回、日本一11回。西本1384勝、優勝8回、日本一なし。別当1237勝、優勝なし。1回も優勝できなかった別当に「大」を冠するのはどうか、という向きもあるだろうが、1237勝にはやはり敬意を表したい。
西本は別当とは大学時代(立大と慶大)からのライバルで(ともに主将)、プロでは、毎日時代、選手の一軍昇格をめぐって大ゲンカしている(別当一軍、西本二軍)。犬猿の仲ならぬ“猿猿の仲”の2人だった。西本は、阪急監督時代、川上巨人に日本シリーズで5回も挑んですべてはね返された。申年のサル山の
ボスは、川上だった。
川上たちから12年下った32年の申年には
ヤクルト、
西武で計3度の日本一監督となった
広岡達朗がいる。巨人の選手時代の川上監督との確執は有名だが、この“猿猿の仲”の勝負は監督時代にズレがあり直接対決がなかった。ONのような強力な戦力を持たない広岡の健闘を加味して、引き分けとする。
おっと忘れていた。川上たちから12年さかのぼった08年生まれにハワイ生まれの二世、
若林忠志がいた。
阪神-毎日で通算237勝。監督としても阪神の戦前最後の優勝(44年)と戦後初の優勝(47年)を達成している。いずれも選手兼任で、両年ともMVPというのがすごい!
44年の申年となると、監督では目立った人はいない。このへんは出生数も少ないのか、次の団塊の世代の個性派監督続出に比べて寂しい。
松原誠(大洋、巨人)、
柴田勲(巨人)の名球会プレーヤーはいるが。その12年後の56年は、16年に還暦だが、ここは不作。そこから12年の68年の申年はまだ少ないが、それでも
広島の
緒方孝市監督と、阪神・
金本知憲監督がいる。申年監督の下限がこのあたり。
写真は申年山のボスザル・川上監督が5たび西本監督を退けた72年のV8達成祝勝会で。川上監督(77)を中央に左から
牧野茂コーチ、
堀内恒夫、
王貞治、
長嶋茂雄、正力亨オーナー。