
文=大内隆雄
今週号は
巨人、
阪神の大特集だが両チームの監督がそろって代わるのは珍しい。このGTそろって、で思い出されるのは、やはり、1975年。巨人は
長嶋茂雄、阪神は
吉田義男。「とうとうこういう日がやって来たか……」の感慨を覚えたものだ。この年のセ・リーグは、ほかに大洋に
秋山登、
広島に途中からだったが
古葉竹識と4人も新監督が誕生した。秋山、古葉も満を持しての“登板”。「時代は動いている」とファンはワクワクしたものだった。
巨人は
川上哲治監督から長嶋へ、と順当な交代だったが、ライバルの阪神は事情が少し複雑だった。吉田より6年もあとに入団した
村山実が、すでに70~72年(72年は4月19日まで)阪神監督を務めている。そのあと、
金田正泰監督がつないで吉田監督となるのだが、阪神の場合、シーズン中の交代というのが多い。村山監督のようなつらい目に吉田監督をあわせるようなことになったら、人材的にもうあとがない。吉田阪神の行方が大いに気になったものだ。
しかし、これは杞憂だった。吉田阪神は、オールスター時点で堂々の首位。最後は3位に終わったが、“ミスタータイガース”
田淵幸一が初の本塁打王に輝き、
安仁屋宗八も初の最優秀防御率のタイトル。驚きだったのは、長嶋巨人が史上初の最下位に転落したことだった。76年は、阪神に12年ぶりのVの期待がかかった(残念ながら巨人に2ゲーム差の2位)。
さて、この写真は、59年に入団したルーキー村山が、月刊ベースボールマガジンの企画(10月号)で、夏のある日、吉田宅を訪れたときのもの。村山は吉田宅は初めて。初めは緊張していたが、「右ヒジが少しおかしいんですが」と村山が言うと「これを使ってみれば」と吉田が紫外線治療器を持ってきて、ヒジに当ててくれたことでリラックス。両雄の最初の出会いはなごやかだった。右から吉田、長女・智子ちゃんと篤子夫人、村山。これから、ともに波瀾万丈の人生が待っていようとは、2人は知る由もない。