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文=大内隆雄
7月20日、
中日・
大島洋平外野手は
広島戦[マツダ広島]で史上64人目のサイクル安打を達成した。初回の打席から4打席で達成する効率のよさ(本塁打、二塁打、三塁打、単打)だったが、本塁打は、「1回表先頭打者本塁打」のオマケ付き。
いまでこそ、サイクル安打は大騒ぎになるが、昔は、ほとんど話題にならなかった。日本の野球ファンはサイクル安打という表現すら知らなかった。だから阪急の
スペンサー内野手が65年7月16日の近鉄戦(西京極)でサイクル安打を達成しても、記者たちは、それについて質問することはなかった。イラついたスペンサーは「オレはザ・サイクル(サイクル・ヒットは和製英語らしい。佐藤尚孝さん編著の『ベースボール和英辞典』=開文社出版=によるとハット・トリックという表現もあるようだ。サッカー用語だけではないんですネ)を達成したんだぜ。どうしてそれを聞かないんだ!」と大声を上げた。そこから、日本では、サイクル安打の重要性が認識されることに。
サイクル安打で思い出されるのは
ロッテ・
得津高宏外野手(写真)だ。76年4月17日の太平洋戦(仙台)で達成されたのだが、三番・得津は初回の単打に始まって二塁打、三塁打と続けた。4打席目に本塁打が出るか?しかし、75年4本、74年5本と本塁打を打てる打者ではない。74年は三塁打も5本。三塁打は得意なのだ。さて、第4打席、得津の打球はセンターオーバー。「ランニング・ホームランにしろ!」。球場からは大声援が送られた。しかし、三塁コーチャーは無情のストップ指令。この時点で、ロッテリードでホーム開催。5打席目は微妙?しかし、8回裏二死に打席が回ってきて、得津は、右翼席にライナーでたたき込み、めでたく大記録達成(試合は11対4でロッテ)。
後年、「日本プロ野球OBクラブ」の勉強会で一緒になった得津にこの試合のことを聞いたことがあったが、「ホームランなんか狙って打てるワケがないじゃないですか。でも、あんなことがあるんですよねえ。前の晩、4000円のウナギの蒲焼食ったからかなあ、ハハハ」と得津。大島クンもひょっとしてウナギ食ったのかな?