西鉄などで強肩、強打、俊足の外野手として活躍した
高倉照幸氏が亡くなった。83歳だった。1953年、熊本商高から西鉄に入団。53年入団の同期には
豊田泰光、
河村英文、
西村貞朗の、のちの西鉄3年連続日本一(56~58年)の主力となる選手たちがいた。
これで、最強西鉄のいわゆる“流線型打線”の生き残りは三番の
中西太三塁手1人となってしまった。これは当時の
三原脩監督の一番から二塁打、ホームランを打てる打者をズラッと並べ、試合を前半で決めてしまうという戦略から生み出されたものだった。
多少の選手の出入りはあったが、
巨人を2年連続で日本シリーズで倒した57年の打線がその典型で・・・
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