戦時中の1942年に職業野球でデビューし、南海、
巨人で通算310勝を挙げた伝説の右腕は引退後、巨人、大洋のコーチ、サンケイの監督などを務めたが、そこについて回ったのが「鬼軍曹」のレッテルだった。
「訓練において絶対に妥協はしない。これ以上やったらヘドを吐くというところまで来て、それを乗り切るか乗り切れないかによって、その人の運命は決まるんだ。そういう限界点を出すのが私の目標であり、それを出さない練習は、練習になっていない」
その指導理念に加え、巨人を去るきっかけとなった殴打事件や大洋時代に導入した厳しい罰金制度なども波紋を呼び、鬼軍曹の名はネガティブな意味で用いられることが多かった。ただ、この異名はそもそもが・・・
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