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荒巻淳(1927〜71)
「左手は僕の生命ですから」



 大分経専時代の全国高専大会で1試合23奪三振の大記録を打ち立て、社会人野球の別府星野組では都市対抗で優勝し橋戸賞を受賞した荒巻淳。2リーグ制初年度の1950年に毎日オリオンズに入団すると、その年、26勝を挙げ日本一に貢献し、最多勝、最優秀防御率、新人王などのタイトルを獲得した。

 細身の体にメガネをかけた温和な風ぼうに似合わず、その武器としたのは「和製ボブ・フェラー」、「火の玉投手」の異名をとった剛速球。53年には来日したメジャー・リーガー(ロパット・オールスターズ)を相手に日本のプロ野球選手では初となる完投勝利を収めたが、そのころから故障の影響などもあり徐々に球速は衰えていたという。

 それでも、スロー・ボールを駆使した緩急の投球を身に付け、球界を代表する技巧派投手としてその後もコンスタントに勝ち星を重ねた。ピッチングへの高い意識を表していたのが、当時行っていた私生活での肉体管理だ。

「左手は僕の生命ですから」と、普段は左手を使うのを避け、食事をするときにハシを持つ手は右、字を書くのも右、風呂で桶を持つのも「ちょっとすべってツメをひっかけたりすると大変だから」と右手を使い、包丁や針のように持たない手の方が危険な場合は左手を使ったという徹底ぶりだった。

 速球投手としてプロ野球草創期を彩り、13年間の現役生活を全うした左腕は、その繊細さと「セの藤田(元司=巨人)、パの荒巻」と呼ばれた紳士的な人柄で、現役生活晩年はパ・リーグ選手会の会長も務めた。
ツーシームみたいに〜心揺さぶる名言〜

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野球人の名言から野球人生を振り返るコラム。

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