身長168センチの小さな体ながら、ベース1周14秒を切る俊足で
日本ハムのリードオフマンに定着し、「チャボ」の愛称で人気を博した
島田誠。プロ3年目の1979年6月5日の
西武戦(後楽園)ではプロ野球18年ぶり、11人目の1イニング3盗塁をマーク。同年55盗塁をマークし
福本豊(阪急)と盗塁王を争い、81年にはベストナインを獲得する活躍でリーグ優勝に貢献した。
プロ入りまでの経歴は波乱万丈だった。直方学園高では甲子園出場はなく、卒業後に進んだ九州産業大は2年で中退。丹羽鉦電機の野球部に入るも1年半で廃部に。
すでに野球部全員が解雇された状況で迎えた最後の都市対抗予選は、1回戦を突破し本田技研との2回戦に進んだが、試合の翌日には合宿所を退去しなければならず、勝っても寝泊りする場所がない。島田は試合前、キャプテンとしてチームメートに言った。
「今日は勝ったらいかん。つらいじゃろが負けてくれ」
その呼びかけにうなずいたナインだったが、試合は1点リードで進む。「おい、勝ったらダメなんだって」と繰り返しながら、言葉とは裏腹に心の中にあったのは「負けたくない」という思い。丹羽鉦電機として最後の大会、全員が同じ気持ちだった。
結局、9回裏に逆転され敗退。その後、島田はチームメートとともにあけぼの通商へと移籍し、食料品の訪問販売をしながらプレーを続けた。
テスト入団でのプロ入りからまたたく間に頭角を現した当時、島田は「あの苦労を思えば今なんか……」と語っている。並はずれたハングリー精神が小さな体に宿っていた。