
1月23日から臨時コーチとして指導を開始(コーチ就任は3月1日)。プロ野球時代の経験を、惜しみなく学生へ伝えている[写真=矢野寿明]
農業と野球に共通する「心の教育」
「そう、そう! 今のはいいよ。何かをつかみかけてるんじゃないか?」
専大の室内練習場に、ティー打撃をする選手に自ら球を上げていた
仁村薫コーチの声が響いた。
専大の「投手・総合コーチ」に3月1日付で就任した。1月23日から臨時コーチとして指導を開始。投手のほか、野手の打撃、守備、走塁、トレーニングやコンディショニングと、プロでの指導経験を生かして多岐にわたる役割を担う。仁村コーチは言う。「技術は一朝一夕では身につかない。まずは、心の教育。ただ野球をするのではなく、野球を通して学ぶ。私の言葉で、学生たちの心に染みるように伝えたい」。
2012年限りで
楽天のコーチを退任。その後は埼玉県川越市で家業を継ぎ、米作りに専念していた。「一から勉強して、いい米を作ろう」と、あえて野球から離れ、試合の中継もスポーツニュースも見ていなかった。
17年12月。
中日時代からの恩師・
星野仙一氏(故人)の「野球殿堂入りを祝う会」が大阪市内で開催され、出席。それを機に「心の中に野球があると気付いた」と明かす。
「野球と農業には相通じるものがある。田を耕し、田植えをして秋に収穫する。田植えの約40日後には『土用干し』という、田の水を抜いて土を乾かす作業がある。これによって苗が次の水を待ちながら耐え、土の中の養分を吸い上げることで、米の一粒一粒に魂がこもる。野球選手も同じで、苗から米になる存在。米作りをしながら、『もし自分が指導者として誘いを受けたら、野球と農業の共通点でどんな教え方ができるだろうか』と、考えるようになりました」
今後は学生指導と農業を並行する。
学生たちが開ける新しい扉
専大・齋藤正直監督とは旧縁があった。30年前、齋藤監督が川崎製鉄千葉(現JFE東日本)の選手だったころに、臨時コーチに招かれている。
19年11月。1本の電話が、旧縁を再び結びつける。仁村コーチが中日時代、スポーツメーカーの担当者だったのが吉田鉄平氏。吉田氏は専大OBで、09年に母校のコーチに就任したが、その後もシーズン終了後などの節目に連絡を取り合っていた。19年11月に電話をしたとき、吉田コーチはたまたま齋藤監督ら専大の指導陣と会食中だった。齋藤監督がその電話を代わり、「仁村さん、お久しぶりです。今度、ウチの練習を見に来てください」と依頼。昨年中は機会を見て何度か指導にあたっていたところ、昨年末になって正式にコーチへの就任を打診された。
「あの電話が30分も遅ければ、齋藤監督とは話せなかった。これも人生の縁(えにし)。機会をいただいた以上、なんとか力になりたい」。仁村コーチはかみ締めるように言った。
専大は15年春に32度目のリーグ制覇を果たしたが、17年春に二部降格。今春の二部優勝、一部復帰を目指している。齋藤監督は、仁村コーチへの期待をこう語る。「仁村さんにはいろいろな引き出しがあって、さらにその奥に小箱が隠されている。仁村さんの指導で、学生たちが新しい扉を開けようとしています」。
東都最多の優勝回数を誇る名門の復活へ。仁村コーチが、まずは土壌を作っていく。(取材・文=佐伯要)
PROFILE にむら・かおる●1959年5月9日生まれ。埼玉県出身。川越商高(現市川越高)から早大に進学し、3年時からエースで通算17勝。82年ドラフト6位で
巨人入団。3年目から外野手に転向。88年からは中日でプレーし、90年に現役引退。NPB通算396試合、打率.231、15本塁打、60打点。95年から巨人の二軍外野守備・走塁コーチに就任。98年から2002年、2004年から07年は中日で一軍外野守備・走塁コーチ、トレーニングコーチなどを歴任。2011年に楽天で二軍監督に就任。12年は野手総合兼巡回コーチを務めた