2017年春のセンバツで優勝した大阪桐蔭高の3年生世代は大学3年間を経て、5人が主将に就任した。高校時代にレギュラーだった福井章吾(慶大)、泉口友汰(青学大)、坂之下晴人(関大)に加え、背番号2ケタだった2人もチームの「顔」となっている。 取材・文=沢井史 
写真=平成国際大野球部
2018年春、坂本義生は大阪桐蔭高から初めて平成国際大へ進学した。5年ぶりに優勝した3年春のセンバツでは、背番号16でベンチ入り。履正社高との決勝では9回表の勝ち越し後、裏から就いた左翼の守備で歓喜の瞬間を味わっている。直後の春の府大会でもメンバー入りを果たしたものの、最後の夏は府大会、甲子園ともスタンドで試合を見守っていた。卒業後は地元・大阪で就職することを考えていたが、大阪桐蔭高・西谷浩一監督から進学を勧められたという。平成国際大は埼玉県加須市にある。縁もゆかりもない地へ行くことは多少不安もあったが、思い切ってチャレンジすることにした。
「初めて大阪桐蔭から入学したということで、最初は先輩からいろいろと聞かれました。高校ではどんな練習をしていたか? どんな雰囲気で取り組んでいるのか? と……」
全国トップと言われる強豪校のレベルに、周囲は興味を示していたのだ。坂本は一つひとつ丁寧に説明し、チームに落とし込んでいった。
高校時代は主に外野手としてプレー。大学でも外野手でプレーするつもりだったが、入学直後に三塁手転向を言い渡された。初めて挑む内野守備。当初は戸惑いがあり、慣れるまでには時間を要したという。そんなとき、最も生きたのは大阪桐蔭高で培った練習に対する積極性だった。
「ただ、淡々とこなすだけでは力がつかない。大阪桐蔭ではどんなメニューでもまず、何のためにやるのかを自分で考えます。その姿勢は大学でも同じ。とにかく基礎的なことを中心に、守備練習を繰り返しました」
ゴロに対する対応力、打球判断。1歩目のスタートなど、日々の練習で体に身に染み込ませた。西谷監督からは当時、どんな状況でもいかに素早く状況判断ができるかが大事だ、と言われ続けてきたことを実践した。
金属から木製バットとなった打撃も同じだ。高校野球とは比較にならない、投手力の高さにも苦労した。
「大学では投手のボールのキレや精度がグンとアップしたので、こういうボールに対応できないと、活躍はできないと感じさせられました」
年末に帰省した際まさかの母校の反応
課題を一つずつクリアし、着実にステップアップ。高校時代の同級生の大学野球界での活躍を、ネットなどで見聞きするたびに、一層負けられない気持ちになった。自身が高校時代、レギュラーではなかったからという反骨精神だけではなく、純粋に、平成国際大で中心選手として活躍するという覚悟があったからだ。
努力が認められ、3年秋に外野の定位置を獲得。内野手経験により、プレーの幅が広がった。今春からは主将としてチームの先頭に立つ。
「自分はもともと、キャプテンというキャラクターではないんです。年末に大阪に帰省して、大阪桐蔭にあいさつへ行ったときに、西谷先生ら指導者の方にキャプテンになったことを報告しても、誰も信じてくれなかったので……(苦笑)。でも、大阪桐蔭でやってきたことを、これからも自信にしてやっていきたいです」
高校時代、主将の福井章吾(慶大主将)以下、副将は7人いた。坂本はこの立場でもなかったが、大学で欠かせない存在に。坂本が示すキャプテンシーの神髄。控え選手の気持ちを理解し、下積みの大切さも熟知しており、全幅の信頼を得たのだ。上武大、白鴎大ら群雄割拠の関甲新学生リーグで、2度目の優勝を狙う。坂本は平成国際大に確かな足跡を残す。
PROFILE さかもと・よしき●1999年4月4日生まれ。大阪府出身。172cm79kg。右投左打。幼稚園年中からソフトボールを始め、曙川東小では曙川東ドリームズ(ソフトボール)で主に外野手としてプレー。曙川南中では八尾中央ボーイズで捕手兼外野手。大阪桐蔭高では1年秋に背番号14で初めてベンチ入り。3年春のセンバツ(同16)で優勝を経験。平成国際大では1年秋にベンチ入りし、代打で初出場。3年秋から中堅、右翼でレギュラー出場した。今春より主将