
野球部創部50周年と古希が重なった馬淵監督には似顔絵がプレゼントされた。壇上にはNPBに進んだ卒業生が並び、伊藤光[来季から楽天]から「祝古希」背番号「70」のユニフォームが手渡された
50年で甲子園出場44回
2026年4月に創部50年を迎える明徳義塾高の硬式野球部のOB会による「創部50周年記念式典」が12月13日、高知市内の城西館で開かれた。しのぎを削った県内外の指導者、来賓、プロ野球選手を含む卒部生など関係者に加えて、事前にOB会ホームページから参加申込みしたファンが集結。華やかな会場に用意された約450席は埋まり約3時間、同部の節目を祝福した。
明徳中が開校した3年後の1976年、高校の開校に合わせて硬式野球部は創部した。「四国四商」と呼ばれた高知商高、松山商高、高松商高、徳島商高が全盛だった時代に、新興私学が真っ向から挑んだのである。
初代監督の武市隆氏(OB会名誉顧問)と臨んだ初の公式戦は76年夏の高知大会だった。78年から82年秋まで指揮を採った松田昇氏が82年春、初の甲子園出場へ導くと、そこから県下で存在感を増していく。
82年冬から90年夏まで指揮した竹内茂夫氏の時代には「高知三強」と呼ばれた高知商高、高知高、土佐高を脅かし、その一角を奪うまでに台頭。83年春は4強、84年春は8強と甲子園で明徳の名を轟かせた。
90年8月、馬淵史郎氏が監督に就任。三瓶高、拓大を経て、阿部企業では監督として86年の社会人日本選手権準優勝へ導いた。社会人仕込みのち密なスタイルで、同校を甲子園常連校に成長させた。2002年夏に悲願の全国制覇。10年からは6年連続で夏の聖地への切符をつかむ県下敵なしの独走状態だったことも記憶に新しい。いくつもの名勝負を繰り広げ春21回、夏23回の甲子園出場を果たしている同校。半世紀にわたる歩みを貴重な写真とともに・・・
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