
高卒社会人2年目を飛躍のシーズンとするつもりだ[写真=矢野寿明]
背中に浮かぶ番号は、昨年の「42」から「11」に変わった。
「期待していただけるのはうれしいことですが、そこまで(背番号は)意識していないというか……。期待に応えるだけです」
JR東日本での2年目を迎えた
洗平比呂は、あくまでも自然体を貫く。
物怖じしない性格なのだろう。
「もともと緊張するタイプではなく、楽しみな登板だったので、すんなりと入れた」
そう振り返るのは、自身にとって社会人での公式戦初登板となったマウンドだ。今年3月のJABA東京スポニチ大会。予選リーグの初戦で先発を託された左腕は、140キロ台後半に迫るストレートとスライダーのコンビネーションでYBSホールディングスを相手に快投を演じる。5回を投げて散発3安打の7奪三振。JR東日本・濱岡武明監督(駒大)が「変化球をうまく使い、ピッチングの奥行きで勝負できていた。成長を感じるものがありました」と評した無失点のピッチングは圧巻だった。
JFE東日本との準決勝でも先発マウンドに上がり、同じく5回3安打7奪三振。計10イニングでの無失点ピッチングは「飛躍の2年目」を強烈に印象づけるものだった。
社会人野球で再出発
千葉県生まれ。高校は、父・洗平竜也さん(元
中日)の母校でもある八戸学院光星高へ進んだ。1年夏から甲子園のマウンドを経験した洗平は、2年夏、そして3年春も聖地の土を踏んでいる。手足の長い恵まれた体躯から投げ込むストレートは魅力的だった。ドラフト候補と呼ばれ、高校からプロへ。その歩みも十分に考えられたものだが、青森大会準々決勝で涙をのんだ3年夏の大会終了後、左肘をクリーニング手術。社会人野球で再出発することを決意した。
昨年入社したJR東日本では、チームの育成方針もあって1年目は公式戦での登板なし。洗平が振り返る。
「都市対抗でレベルの高い試合をしている先輩たちを後ろから見ながら、『来年は投げなければいけない』と思っていた」
オープン戦での登板も1イニングずつ。実戦経験を積むことはできなかったが、社会人野球でも勝負できる技術を磨いていった。2年目を迎えた今年、ストレートは140キロ中盤をコンスタントにマークするようになった。カーブ、カットボール、チェンジアップといった変化球も徐々に精度を上げる中で、JABA東京スポニチ大会でも「腕が振れて曲がりがよかった」と言うスライダーは、洗平のピッチングに華を加える。4月に行われたJABA岡山大会決勝では、トヨタ自動車を相手に5回途中10安打13失点(自責点12)と打ち込まれて敗戦投手に。その苦い経験も力に換えながら、さらなる「飛躍」が期待される洗平は2年目をスタートさせている。
「もともとストレートには自信があったので、コントロールと変化球のレベルアップをもっと上げていきたいと思います」
いずれはプロへ。進化の先に開かれる世界もイメージしながら、しなやかな左腕を振り続ける。(取材・文=佐々木亨)
PROFILE あらいだい・ひろ●2006年12月18日生まれ。千葉県出身。180cm81kg。左投左打。二和小3年から野球を始め、二和タイガースでプレー。6年時は
ロッテJr.でプレー。御滝中では佐倉シニアに所属。八戸学院光星高では1年春からベンチ入りし、同夏、2年夏、3年春の甲子園出場。3年夏は左肘痛の影響もあって青森大会準々決勝敗退。25年にJR東日本へ入社すると、1年目の育成期間を経て、2年目のJABA東京スポニチ大会で公式戦初登板。ストレートはコンスタントに140キロ台中盤を計時。スライダー、カーブ、カットボール、チェンジアップを操る。父は元中日投手の洗平竜也氏。