
記録が途切れた後も気持ちを切らさずにプレーしている鳥谷/写真=大泉謙也
私が
鳥谷敬という選手を初めて目にしたのは、約20年前、1999年のことになる。当時、
西武でコーチを務めていたが、ちょうど休日で練習のない春の日だった。高校の野球部に所属していた長男に「今日、部活で何をやるんだ」と聞いた。すると、練習試合をやるという。相手は埼玉の聖望学園高。同校の岡本幹成監督は東北福祉大出身で、伊藤義博監督の指導を受けていた。伊藤監督は私にとって芝浦工大の先輩だ。伊藤監督が4年生のとき、私は1年生。だから、岡本監督とも知らない仲ではなかった。「よし、ちょっと見に行くか」と聖望学園高のグラウンドへ足を運んだ。
どんなレベルの試合であっても特別な能力のある選手は、ほかとは抜きん出てオーラがあるように感じられるものだ。聖望学園高のショートを守っていた選手、すなわち鳥谷がまさにそれだった・・・
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