
まさに京都人らしい、はんなりという言葉がピッタリと当てはまる人柄だった吉田氏[写真=BBM]
私の故郷である
広島県甲奴郡上下町(現・府中市)で、わが家の二間隣に1歳下の後輩がいた。小さいころから一緒に遊び、中学では野球部でともにプレー。高校は別々のところに進学したが、顔を合わすことはあった。高校卒業後、私は芝浦工大に進学し、上京。それから会う機会もなくなってしまった。
時がたち、私が最初に
西武監督を務めた2002年のことだ。大阪遠征に行った際、宿舎の部屋で日経新聞を読んでいると、1面を使って創建という建設会社の記事があった。目を通すと、社長の名前が記載されていた。「吉村孝文」。よしむらたかふみ……? その幼馴染(おさななじみ)と同じ名前ではないか。写真を見ると面影がある。「もしや」と思い、すかさず受話器を取ってその会社に電話をして説明すると、すぐに
コールバックがあった。「おー、孝文か!」。30年以上ぶりの“邂逅”だった。
それから再び・・・
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