
徳島商高時代の板東さん。1958年夏の甲子園では全6試合を一人で投げ抜き、大会記録となる83奪三振をマーク。チームを準優勝へ導いた[写真=BBM]
板東英二さんの訃報に接し、一つの時代が終わったような思いがした。現役時代を知る世代はもちろん、引退後にタレントとして親しんだ人も多いだろう。野球人でありながら、お茶の間の人気者として幅広い世代に愛された存在だった。
私が板東さんの名前を初めて強く意識したのは、野球を始めた小学校3、4年生のころだった。1958年夏の甲子園準々決勝、徳島商高と魚津高による延長18回引き分けの名勝負をリアルタイムで見たわけではない。それでも、その試合は毎年のように語り継がれ、「板東英二というすごい投手がいた」と自然に頭へ刷り込まれていった。
当時の甲子園は今以上に全国的な関心を集める舞台だった。魚津高・村椿輝雄投手との投げ合いは、高校野球史に残る名勝負として何度も振り返られてきた。板東さんは18回を一人で投げ抜いて25奪三振を記録し、翌日の再試合でも完投勝利を挙げた。今では考えられない登板だが、それだけ当時の高校野球が厳しく、板東さんの投手としての力が突出していた証しでもある。
しかも、この試合は・・・
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