
「個」がぶつかり合わない日本の野球。ヤクルト・真中新監督はそのへんをうまく利用できるか?
テレビの時代劇を見ていたら「手前ら、恥を知れ、恥を!」と怒鳴られた側が「手前どもといたしましては……」と答えるシーンが出てきた。
「てめえ(てまえ)」という人称代名詞は一人称にも二人称にも使われるのだ。あらためて不思議なことだと思った。筆者の育った福島市周辺では、目の前の相手を「我が(君)も面白いこと言うなあ」と表現することがある。「我」が自分にもなり、相手にもなるのである。日本語というのは、主客をキッパリと分離するのが嫌いな言語のようだ。
大野晋さんたちの編集になる『岩波古語辞典』をひいてみると「われ(我)」の項には「(1)一人称。わたし (2)二人称。御自分。そなた」とあった。不思議どころか、日本語は、昔から「我」は私であり、あなたであることが当たり前だったのだ。
外国語ではどうなのだろう。「I」が「YOU」になり、「YOU」が「I」になることはあるのだろうか。それ以前に「我」のように、同じ単語がIでもありYOUでもあるという使い方をされることがあるのだろうか。こちらが無知なのかもしれないが、ヨーロッパの言語には、「我」はないような気がする。
日本人は、自他の関係がアイマイで、そのズブズブで、グジャグジャな関係の中に安住するのが、むしろ礼儀になっているとは、よく言われることだが、言葉も同じようだ。こういう自他の関係と言葉は、恐らく同時発生的だったのだろう。
相手を相手として認めたうえでのズブズブ、グジャグジャではなく、認めたくもあり、認めたくもないのアイマイさを保ちつつ、ケンカはしたくないからズブズブ、グジャグジャで、というのが筆者の実感である。
この欄の読者なら「また安手の日米文化比較論に持ち込もうとしているんだろう」と舌打ちしているかもしれないが半分は当たりです。
ただ、日本のスポーツに・・・
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