
意識していた投手は稲尾。コントロールが抜群だった/写真=BBM
私は稲尾に育ててもらったようなもの
ベースボール・マガジン社創業70周年企画シリーズとして出版されている『別冊ベースボールマガジン・第四巻』のテーマはライバルだという(10月3日発売予定)。
私で言えば例えば
長嶋茂雄に対して選手時代、ライバル心はまったくなかった。ただ、
巨人監督としての長嶋には負けたくなかった。いや長嶋に、というより『長嶋巨人』に負けたくなかったといったほうがいいかもしれない。一方、
王貞治にはオールスターなどでキャッチャーとして対戦するとき、「絶対打たせてなるものか」と思っていた。
ONという“お題”なしに、ライバルと意識する相手がいたかと聞かれると、特段そう思った選手はいなかった。ホームラン王のタイトルを争っていた相手には、その年々それなりに競争意識を持っていた。特に私はキャッチャーだから、「コイツには絶対打たせないぞ」と思いながら、ピッチャーをリードしていた。
対戦相手のピッチャーでいえば、私は四番を打っていたし、相手のエース級は常に意識していた。中でも
稲尾和久(西鉄)の存在は別格だった。私は極端なことをいえば、稲尾に育ててもらったようなものだ。
最初、私は稲尾が打てず、
鶴岡一人監督に「お前は安物のピッチャーはよう打つけど、一流は打てんのう」と皮肉を言われた。その一言で、ピンときた。「ああ、稲尾のことを言っているんだな」。しかし、オールスターで稲尾とバッテリーを組んだとき・・・
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