阪急の右打者陣に影響を与えた“スペンサーメモ”

日本野球を変えた男の一人だったスペンサー[左]と筆者[右]が2ショットで納まった一枚/写真=BBM
元阪急のダリル・スペンサーが1月初め、亡くなった。享年88歳。私より7つも年上だったとは、現役時代にはまったく意識していなかった。
ドン・ブレイザー(元南海ほか)とこのスペンサーが“日本の野球を変えた”とは、ここでもたびたび書いてきた。スペンサーとのエピソードも既出になるが、今一度思い出に浸らせてほしい。
スペンサーは投手のクセを盗む天才だった。人には見えないクセが、彼には見えたのだ。そして見抜いたクセを、逐一ベンチでノートに書き込んでいた。この“スペンサーメモ”がまず、阪急の野球を変えた。特に
長池徳二(長池徳士)、
高井保弘、
大熊忠義らスペンサーと同じ右打者が、影響を受けた。中でも一番影響を受けたのは、長池だったのではないか。相手投手のクセを、ほとんどつかんでいた。長池は私と同じく、不器用なタイプ。日ごろ観察していないセ・リーグの投手はなかなか打てず、“大試合に弱い野村”同様、長池も日本シリーズではさっぱりだった(打率.213)。
1965年、私はスペンサーと三冠王を争った。しかし、私にとってスペンサーは“ライバル”というよりも・・・
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