試合での配球はデータの応用問題

侍ジャパンに選出されている嶋。筆者の教えを受けているだけに、他国の強打者封じを期待したい/写真=神山陽平、※嶋基宏選手は右ふくらはぎ痛のため、3月4日に出場辞退となりました。
いよいよ来週、第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)1次ラウンドの開幕だ。
同じ短期決戦の大舞台でも、国内大会のプレーオフ、日本シリーズなどは、スコアラーから相手チームの詳細な情報が集まってくる。キャッチャーの仕事は、そこからの応用問題。スコアラーから相手バッターの長所、短所のデータをもらっても、例えばインコースが弱いからといって、すべてのボールをインコースに投げるわけにはいかない。スコアラーの情報を1球1球応用して、組み立てを考える。
それこそ私の得意分野だった。すなわち「バッターの目の前をボールが通過したとき、右目でボールを見ながら左目でバッターの反応を見る」こと。バッティングはタイミング。バッターのタイミングが合っているかどうかは、そのバッターの前をボールが通過したときに分かるものだ。逆に言えば、それくらい分からなければ、もはやプロのキャッチャーではない。
そのうえで、「バッターの頭の中が変わるときはどういうときか」を押さえておく。まずはボールカウント。2ボール0ストライク、3ボール1ストライク。極端な話、そういったバッター有利のカウントでバッターの狙い球は変わってくる。2つ目に、例えば前の打席でストレートを打った場合、その“投手をやっつけた球”が基本になって次の打席、狙い球が変わってくる。3つ目に、ある球種に対しタイミングが合わずに大きく空振りしたとき。そのときも、バッターの考えが変わる。
これまで私は自分の経験から、こうした配球論を自軍のキャッチャーたちに教えてきた。しかし、WBCのような国際大会では、ほとんどが初めて対戦するバッター。情報も動画程度しかないから、キャッチャーにとっては困りものだ。
そんなときこそ、ピッチャーの“原点能力”を使う。このページでも何度も書いたが、“原点”とは、外角低めへのストレート。全打者に通用する凡打コースである。外角低めを要求しながら、相手バッターを分析する。この分析ができるかできないかは、キャッチャーの能力が大きく問われてくるところである。
監督は色気を出さず黒子に徹すべし
外国人選手に共通する特徴は、パワーとスピードだ。日本人選手は、到底かなわない。そこで知りたいのは選球眼。外国人選手は“腕力打法”頼みが多いため、往々にしてあまり選球眼がよろしくない。従って、「1ストライクを取ったら、もうこっちのもの」というくらいのスタンスでいったほうがいい。あとはボール球で誘っていく。そして相手を観察し、いち早く攻略法を見つける。
今回、
楽天の嶋基宏が侍ジャパンに選出されている。彼は私の教育を受けているから、“応用問題”への対処も問題ないはずだ。彼の存在は、侍ジャパンに大きな影響を与えるだろう。ただ、嶋の欠点は気の弱さ。内角球の使い方に、それが課題となって表れる。内角球を投げさせて相手にぶつけると、相手ベンチから
ヤンヤとヤジられ、自分が次の打席で厳しい内角攻めを受ける。要は、怖いのだ。非常に頭が良く、優秀なキャッチャーなのに、かえってそのせいで勝負度胸に欠けてしまう。私が監督時代、再三指摘してきたが、こればかりは持って生まれた性格だから、直らない。WBCでマイナスに出なければいいのだが。
大試合になればなるほど、重視すべきは基本である。原理は単純。0点に抑えれば、100%負けることがない。「徹底的に失点を防ぐ」方向でチームを動かしていけばよい。
心配なのは、
小久保裕紀監督に経験がないことだ。大丈夫かいな、と思ってしまう。経験に勝る教育なし。経験がない監督ほど、いいところを見せようと色気が出る。自分を殺すことができなくなるわけだ。しかし、プレーするのはあくまで選手。選手がプレーしやすいように導くのが監督の第一の役目であるのだが、経験がないとその肝心な部分が欠けてしまう。
監督というのは表と裏、二面性を持っていると私は思う。「俺は経験がない」と自覚したら、まずは謙虚に裏方に徹する。見て感じたことを、そのまま素直に選手へ伝え、アドバイスしていく。初めて監督を経験する者ほど、結果論で叱ったりほめたりしがちである。どうしてもいい結果が欲しい、その願望が強過ぎて、結果で選手を評価してしまうのだ。
主役は選手。監督が主役になろうと思ってはいけない。唯一、監督が主役になれるのは、記者会見だ。“言葉の力”で、選手の信頼を得る。マスコミを使って「この監督の言うとおりにやっていれば、間違いない」という“信”を選手に与える。言葉にするのは簡単だが、これが最も難しい。そのためにも監督――人の上に立つ者は常に勉強しなければいけないし、勉強のし過ぎなどないと思ってほしい。
PROFILE のむら・かつや●1935年6月29日生まれ。京都府出身。54年にテスト生として南海に入団し、56年からレギュラーに。78年にロッテ、79年に西武に移籍し、80年に引退。歴代2位の通算657本塁打、戦後初の三冠王に輝いた強打と、巧みなリードで球界を代表する捕手として活躍した。引退後は90〜98年までヤクルト、99〜2001年まで阪神、03〜05年までシダックス(社会人)、06〜09年まで楽天で監督を務め、数々の名選手を育て上げた。その後は野球解説者として活躍、2020年2月11日に84歳で逝去。