
阪神監督に星野氏を推薦したのは野村氏だった/写真=BBM
私は基礎を作る人、星野が花を咲かせる人
星野仙一逝去の報を聞き、驚いた。ずっと病と闘っていたとは、知らなかったのだ。それにしても、早い。男性の平均寿命が81歳という、今の時代。10年早かった。あんなに血気盛んな男だったのに、人間とはなんとあっけないものか。
女房を筆頭に、身近な人がどんどん亡くなっていく。実際、星野と個人的な付き合いはなかった。阪神、
楽天と続いて、私のあとに監督を務めたことが、一番の縁。そして2球団とも、優勝に導いた。私が基礎を作る人、星野が花を咲かせる人。私たちは、そんな“関係”だった。
1999年、阪神の監督に就任した私は
ヤクルト時代同様、キャンプで毎晩1時間ほどのミーティングを行った。キャンプ初日、壇上で話しながら選手たちを見渡した私は、唖然とした・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン