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野村克也の本格野球論

野村克也が語る「成長のもと」

 

野球人生で成長することを常に考えていたからこそ、筆者は何度も栄光をつかんだ。写真はヤクルト監督時代、97年の日本一/写真=BBM


次に生きる24時間、野球漬け


 今回は、読者からいただいた質問にお答えしていきたい。40年近く高校野球に監督として携わってきたという、60代の方からの達筆な書簡だ。

「CSでのジャイアンツの戦い方に、投手起用も含め、多くのプロ野球ファンは疑問を通り越えて失望すらしました。このような中、ジャイアンツだけではありませんが、本来じっくり打たせるべき主軸クラス(坂本勇人など)を一番に据え、機動力を発揮すべき場面で、何もせずに得点できず、敗退を繰り返すさまは、野村氏からはどう映っているのかをおうかがいしたい」(Tさん)

 おっしゃるとおり。この連載が始まったときから言い続けているが、ここ数年、グラウンドに行くのもイヤになった。なぜかというと、「いい野球をするなあ」と感心する監督が、皆目いないから。本当に野球を分かっているのか。根本を聞いてみたい。「野球とは」──そこにある“監督の考え”が、試合の中に出てこないのだ。

 私は現役時代も、監督時代も、1試合するたび頭の中では3試合を戦っていた。すなわち想像野球、実戦野球、反省野球である。

 想像野球では、試合でのさまざまな場面を想定し、何度も何度も策を練り直す。これは実際の試合直前まで続くこともある。

 実戦野球で実際の試合を戦ったあとは、反省野球だ。人間、勝ったときは、あまり勝因を考えない。そんなときの反省野球は、比較的あっさり終わってしまう。反省野球は実戦野球で負けたときのほうがある意味充実し、長く続く。時には“延長戦”となり、次の想像野球、実戦野球の直前まで続くこともある。

 つまり24時間、野球漬け。しかし、こうして1日3試合戦った経験は、必ず次に生きてくる。戦えば戦うほど、自分の成長を感じられるはずだ。

 日本シリーズごろのこのページにも書いたが、ヤクルト監督時代、『ギャンブルスタート』を生むきっかけになったのは、日本シリーズでの走塁ミスだった。しかし失敗して初めて、生まれるものがある。だから私は「失敗」と書いて、「せいちょう(成長)」と読む。失敗して成長すると思えば、失敗を恐れる気持ちもなくなるはずだ。

セオリーとは?奇策とは?


 少し話は横道に逸れる。失敗といえば、選手が何か失敗をしたとき、ベンチに戻ってすぐ指摘するかどうかは、その失敗の内容にもよる。私はキャッチャー出身だから、どうしてもキャッチャー目線で野球を見てしまう。そして、キャッチャーにクレームをつけることが多くなる。特にキャッチャーは配球が一番の仕事だから、打たれて帰ってくると「どうしてあそこで、真っすぐ勝負したんや」などと尋ねたものだ。

 私の持論は、「根拠のないサインは出すな」。だから、「僕はこういう考えがあって、真っすぐで勝負しました」と根拠をはっきり示すことさえできれば、何も言わなかった。結果論は言わない、という信念に基づいて指導していたためだ。

 前述したギャンブルスタートのきっかけ、日本シリーズでの広澤克実の走塁ミスにしても、そのときの反省をもとに、選手全員に私の目指す『考える野球』を徹底させた。それが1年後の日本一につながった。(このお話の詳細はこちらを参照→『野村克也が語る「対西武の思い出」』)

 ところで宮本慎也(現東京ヤクルト・ヘッドコーチ)に言わせれば、私は「臆病なまでに慎重」で、私の野球は「邪道に見せかけた王道」なのだそうだ。確かに、例えば今年の日本シリーズの一場面も、私ならセオリーどおりの作戦で戦っただろう。

 初戦のことだ。延長11回裏無死一塁で打席に立った五番・松山竜平は、初球をバント。これは、当然の“作戦”である。ランナーを一塁に置いての攻撃のセオリーは、二死なら盗塁、一死ならヒットエンドラン、無死なら送りバント、だ。

 セオリーどおり……と思いきや、これがファウルになると、緒方孝市監督は強攻のサインに切り替えた。結果は、ピッチャーゴロの併殺打である。

 延長に入り、1点取ればサヨナラ勝ちの場面だった。スコアリングポジションに走者を背負うのが、相手にとって最もイヤな状況だ。もし松山がバントを苦手とするなら、ピンチバンターを出せばよかった。奇策など必要ない。セオリーどおりのバントに勝る策はなかったと思うのだが、セオリーと奇策についてどう考えているか、緒方に一度聞いてみたいものである。

PROFILE
のむら・かつや●1935年6月29日生まれ。京都府出身。54年にテスト生として南海に入団し、56年からレギュラーに。78年にロッテ、79年に西武に移籍し、80年に引退。歴代2位の通算657本塁打、戦後初の三冠王に輝いた強打と、巧みなリードで球界を代表する捕手として活躍した。引退後は90〜98年までヤクルト、99〜2001年まで阪神、03〜05年までシダックス(社会人)、06〜09年まで楽天で監督を務め、数々の名選手を育て上げた。その後は野球解説者として活躍、2020年2月11日に84歳で逝去。
野村克也の本格野球論

野村克也の本格野球論

勝負と人間洞察に長けた名将・野村克也の連載コラム。独自の視点から球界への提言を語る。

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