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野村克也の本格野球論

野村克也が語る「ホームラン」

 

王[写真]も私も「ヒットの延長がホームラン」という考え方だった/写真=BBM


ホームランとはヒットの延長


 今回は、読者からの質問に、お答えしていきたい。

「歴代2位の本塁打記録をお持ちのノムさんに、あらためて本塁打の魅力を語っていただけませんでしょうか? 子どもが心躍らせるような魅力とともに、打つことは決して簡単ではなく想像を絶する練習が必要であること、ホームランバッターにしか分からない打った瞬間の感覚、ホームランを巡るさまざまなドラマなど、お聞かせいただけますと幸いです。少年野球チームに入った息子は、まだヒットすら打ったことがないのですが、ホームランの空想にふけりながら素振りをしています。そんな息子の胸に、大ファンのホームランバッターの言葉を伝えることができれば、これ以上の幸せはありません」(あつけんの父・41歳)

 私にとって、ホームランの魅力はまず、「ダイヤモンドを歩いて1周できること」。あのときの気分は、なんともいえない。ベースを回っている間、スタンドのファンはもちろん、世界中の野球ファンが自分のほうを向いているとさえ思ってしまう。あれほど気持ちのいいことは、ほかにない。

 ただしカーンッと打って、そのままポーンッとスタンドに飛び込むようなホームランはいいのだが、「(入るか入らないか)どっちだ!?」というときは、逆にイライラ、やきもきしてしまうのだけれども。

 では、その「ホームランとは何か?」と聞かれたら、私は迷わず「ヒットの延長」と答える。ホームランは、狙って打てるものではない。あの“世界のホームラン王”王貞治(元巨人、現ソフトバンク会長)だって、「ホームランが狙って打てるものなら、1000本以上打っていますよ」と言っているのだから、間違いない。

 前にも書いたが、これに異議を唱えたのが、門田博光(元南海ほか)だった。私が南海で兼任監督をしていたころ、彼があまりにブンブン、ブンブン、バットを振り回すので、注意したことがあった。すると彼は、「僕はいつも場外ホームランを狙っている。その打ち損じがヒットだ」と言って、聞こうとしなかった。

 そこでオールスターのとき、王のところへ彼を連れて行き、意見を聞いた。そのとき王から返ってきた答えが、前述の「狙って打てるなら……」だったのだが、門田はプーっとふくれて私にこう言った。

「監督は、ズルい。王さんと口裏を合わせているでしょう?」

ホームランを狙う=ホームランしやすい球を待つ


 これには私もすっかり呆れ、サジを投げてしまった。

 私も、王も、ホームランに対する考え方は「ヒットの延長」。だから、常に「ホームランを打つ」ことではなく、「いいバッティングをする」ことを考えていた。「いいバッティングをする」とは、「球をバットの芯でとらえること」。そして、結果(打球の行方)は、神様に委ねるのだ。

 バットは80センチ超あって、球の当たる部分は、7センチ程度。そのうち2センチほどが、いわゆる“芯”である。まずは7センチでボールをたたく。余計なことは考えず、そこから始めるのがいいと思う。

 仮に「ホームランを狙う」とすれば、「ホームランしやすい球を待つ」ことだ。なんでもスタンドを目掛けて打てばホームランになるわけではないし、ストライクゾーンのすべてがホームランになるわけでもない。ホームランになる球を待つ=外角低めは捨て、真ん中から高めを狙うといい。

 さて私にとって『思い出の1本』は、1963年に年間最多本塁打の日本記録を更新した、52号だろう。それまでの記録は、小鶴誠さんの51号。それに並び、いよいよ近鉄とのシーズン最終戦、しかも最終打席である。相手は若い山本重政。あれほどホームランを打ちたかった打席は、ほかになかった。

 ところが山本も、もし私が日本新記録を達成したら、自分の名前が打たれた側で球史に残ってしまう。それがよほど嫌だったのか、初球から外角ばかりに投げてきて、待てど暮らせど勝負してこない。

 試合は勝っていたし、ランナーもいない。かかっているのは自分の記録だけだった。「(四球で)歩いたってしょうがない」と思い切り踏み込み、やみくもにバットを振った。

 打球は弾丸ライナーでショートの頭の上を越えた。「こりゃダメか」と思ったら、ギリギリでスタンドに飛び込んだ。あのときは、自分が怖かった。まさに、神がかりの本塁打。「マー君神の子」どころか「ノムさん神の子」である。

 監督の立場になって「ホームラン」の“効用”を見ると、ホームランバッターが三番、四番にいるとオーダーが落ち着くものだ。「中心なき組織は機能しない」という通り、クリーンアップさえ収まれば、あとは枝葉。V9巨人の打順は、最も理想的だった。あそこに私が入れば、完璧だっただろうな。

 それにしても、南海は契約金ゼロの初任給7000円で四番兼キャッチャー兼監督兼ホームラン王を手に入れた。こんなボロもうけはないだろう(笑)。いい素材を安く獲(と)って、高く作り上げる。「見つける、育てる、生かす」はこれぞ、本来プロ野球のあり方である。

PROFILE
のむら・かつや●1935年6月29日生まれ。京都府出身。54年にテスト生として南海に入団し、56年からレギュラーに。78年にロッテ、79年に西武に移籍し、80年に引退。歴代2位の通算657本塁打、戦後初の三冠王に輝いた強打と、巧みなリードで球界を代表する捕手として活躍した。引退後は90〜98年までヤクルト、99〜2001年まで阪神、03〜05年までシダックス(社会人)、06〜09年まで楽天で監督を務め、数々の名選手を育て上げた。その後は野球解説者として活躍、2020年2月11日に84歳で逝去。
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勝負と人間洞察に長けた名将・野村克也の連載コラム。独自の視点から球界への提言を語る。

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