リリーバー実質1年目で、12球団の中で最多の70試合に起用され、初のタイトルを手にした。思いどおりに事がすべて進んだというわけでもない。連覇を逃しながらも、首位・巨人を猛追した9月に無失点試合を続けた。そこに至るまでさまざま思考を巡らせ、腕を振り、行きついた先は「淡々と投げる」ことだった。 取材・構成=椎屋博幸 写真=BBM 
常に「桐敷」の声が掛かってから気持ちを入れてマウンドに。それが70試合を投げられた要因でもあった
実感がないまま終了
この左腕がいなければ、阪神が2位に食い込むことはなかったかもしれない。リーグ5位のチーム打率で打てない、点が取れない。それを支えたのが投手陣。そしてこの男が2024年、NPBの投手の中で一番多くの試合で腕を振った。抑えていく中で、投球のコツをつかみ、打者を抑え込み、タイトルへとたどり着いた。 ――タイトルを分け合った
中日の松山(
松山晋也)投手とはNPBアワードでお話はしましたか。
桐敷 お互いに「おめでとう」と言い合いました。二人とも初めてのタイトルなので、同じホールドポイントで一緒に獲れたことはよかったと思います。

NPBアワードでは松山[右]とお互いに「おめでとう」と。この席で初めてタイトルを獲得したと実感できた
――
以前にインタビューを受けていただいたときは50試合登板くらいでした。そこから最後は70試合まで行きました。
桐敷 70試合を投げたという実感はないんです。1試合、1試合投げていた結果で70に達していた、という感じなんですよね。
――24年が終わったときも、そこまで疲労は残っていなかったのですか。
桐敷 CSファーストに負けたあとも、次の日は普段どおりの流れで過ごしたので「疲れたシーズンだった」という実感が湧かなかったですね。逆に「本当に今シーズンが終わっちゃったのかなあ」と思うことのほうが大きかったですね。
――23年は日本一になるまで、区切りになるような場面も多かったですから。
桐敷 そうなんです。シーズン優勝、CSファイナル、日本シリーズ、パレードという区切りの場面が何度かあったので、最後に23年シーズンが終わった、疲れたな、という実感があったのですが、24年は……。
――23年の終わり方が24年もできるだろうと思っていた部分もある。
桐敷 それもあります。結局最後まで野球ができなくて、何となく、24年はあっさり終わってしまった、という感じですね。本当に終わってしまったんだあ、という感情が一番大きいですね。
――いつの間にか終わったから、疲れの感覚が自分では気が付いていないのかもしれませんね。
桐敷 まさしく、そうだと思っています。10月はその感じで過ごしていました。実際には疲れもありましたが・・・
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