卓越したバッティング技術を持った左打者だった。生来の寡黙さから、孤高の男と称されることも。チームリーダーに指名され、人知れず苦しんだ時期もあった。出身地・秋田も近い東北のチームで終えた現役生活15年間を、穏やかな口調で振り返る。 取材・構成=富田庸、写真=窪田亮、BBM プロを目指して野球の道を選択
戦力外通告からトライアウト受験。最後の最後まで現役続行にこだわったが、その思いは叶わなかった。幼少期を振り返れば、冬は辺り一面銀世界。そして、ラグビーという別の競技があった。その後に野球の世界へ飛び込み、自身のキャリアがスタートしたのだった。 ──プロ野球選手ではない年越しは本当に久しぶりだと思います。どんな気持ちで過ごしましたか。
後藤 現役選手ならば、僕が引退会見を行った1月10日ごろというのは、春季キャンプへ向けて体が出来上がりつつある時期。ラクというののもおかしいですけど、今年は精神的にも肉体的にもリラックスできますよね。やはりキャンプが迫ってくると、「やらなきゃいけない」と気持ちが引き締まるものですから。それがいいのか悪いのか……変な気持ちですね。でも、もう少し長くやりたかったというのが本当のところです。
──昨年11月12日には甲子園で行われたトライアウトも受けていますし、現役続行を希望されていました。
2016年シーズン終盤に戦力外通告を受ける。11月12日のトライアウトに参加したが、他球団からのオファーがなく、この年限りでの引退を決意した
後藤 10月に球団から戦力外通告を受け、トライアウトを受けて何とか現役続行の道を探ったんですけど、決まらなくて寂しい思いでした。そして、いろいろな人の話を聞いていく中で「次の道を探そう」と思うようになって。そこで立花(陽三・球団)社長に「一緒に働かないか」と声を掛けられたことも(引退を決める)きっかけとなりました。
──ご家族とも話し合って。
後藤 妻は一言、「お疲れ様でした」と。ただ、子どもたちはまだ続けてほしかったようです。「一生懸命やった結果だから」と話し、最終的には納得してもらいました。
楽天ジュニアアカデミーのコーチに就任。1月10日にさっそく生徒たちと顔合わせした
──社会人を経てプロの世界に飛び込み15年。どんな時間でしたか。
後藤 もっと野球がうまくなりたい。そのためにどうすべきか。ずっとそのことを考えながらプレーしてきました。でも・・・
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