“平成の怪物”松坂大輔を中心に史上最強チームと称された1998年の横浜高で三番を打ち、甲子園で春夏連覇を達成。あれから20年、後藤武敏が現役生活に別れを告げた。記録よりも、記憶に残る男だった。涙もろく、人情味あふれる性格で誰からも愛され、DeNAでは「ゴメス」のニックネームで親しまれた。仲間を思い、家族のために全力プレーに徹した16年間を振り返る。 取材・構成=滝川和臣、写真=BBM 
引退試合のセレモニーでは中日・松坂[左]、小池コーチ[右]と98年春夏連覇のメンバーが集い、がっちりと握手
初めて見た松坂の涙
松坂大輔(中日)とともに横浜高で甲子園、春夏連覇を成し遂げた「松坂世代」を代表するスラッガーが、16年間の現役生活にピリオドを打った。引退試合となった9月22日の中日戦(横浜)は、松坂との対決こそ叶わなかったが、最後までフルスイングを貫いた万感の“最終打席”だった。 先日、荷物を引き揚げにひさしぶりにDeNAベイスターズの尞に行ってきました。見慣れた顔がたくさんいるので安心感があって、それでも練習場を見ると懐かしくもあり、寂しさも感じました。ダメならユニフォームを脱ぐ決意で臨んだ今シーズン。ここ数年は体がいっぱい、いっぱいだったこともあり、厳しいと感じながらもあと1年勝負してみようと思っていました。結果が出なければ身を引くべきだとも考えていたし、家族にもそう伝えていました。
そうした中でシーズンは開幕しましたが、僕はずっと二軍でプレーしてきました。下には若く才能のある選手がたくさんいて、前年からのチームの起用法を見ていても厳しい立場になることは覚悟していました。とはいっても・・・
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