エースナンバー「21」を継承し、高卒1年目から目覚ましい活躍を見せた。しかし、その後はケガとの闘いが続く。思うようにいかないプロ野球人生だったが、自身にとっては何ものにも代えがたい11年間となった。「闘球」を貫いた不屈の右腕がその道程を振り返る。 取材・構成=阿部ちはる 写真=井沢雄一郎、BBM ワクワクのデビュー戦
甲子園での活躍もあり、大きな期待を背負って入団した釜田佳直は、ルーキーイヤーに田中将大以来となる球団2人目の高卒新人プロ初登板初先発を果たした。1年目から7勝を挙げるなど、その期待値は大きく膨らんだが、2年目以降はケガに悩まされることに。それでも何度も何度もはい上がる姿にファンは心を打たれ、声援を送り続けた。喜びも苦しみも全部含めて「幸せな現役生活だった」と語ったその11年間を振り返る。 ──現役生活お疲れさまでした。
釜田 ありがとうございます。本当に、すっきりしたという思いが一番ですし、やり切ったなと。気持ちがすっきりしているということもあって、現役に対しての未練がまったくないんです。
──戦力外を受けてからはトライアウトを受けるつもりはなかったそうですね。
釜田 はい。ただ、いろいろな方に報告の連絡をしたときに、トライアウトを受けた方にも話を聞いたんです。そのとき、一人も「受けないほうがよかった」という人はいなかったんですよね。しかも仙台で開催されることもありましたし、これも何かの縁かなと。仙台のファンの皆さんの前で投げることができる最後の機会になるかもしれないと思って投げることができたと思います。思っていたような結果は出なかったのですが、それとは別に
楽天生命パークのマウンドでファンの皆さんの前で投げられたという感動のほうが強くて。最後はやはり受けてよかったなと思いましたね。
──入団は2012年。初代エース・
岩隈久志さんの背番号21を背負うことになりました。
釜田 知ったのは新入団会見の前日、ユニフォーム採寸のとき。そこで知ることになったのも驚きましたが、その番号を最初から着けることになるとは思っていなかったので、本当に僕でいいのかなという思いが最初にきました。そのあと、新入団会見などをする中で徐々に責任感や、この番号に恥じないようにしっかりやらないといけないなという思いが強くなっていきましたね。
──1年目の5月20日、プロ初登板は甲子園球場での
阪神戦でした。
釜田 まさかそんなに早く一軍で投げられるとは思っていなかったですからね。しかも初登板が甲子園。僕は3年の夏に甲子園に出ていて、まだ1年もたっていなかったので、知っているマウンドで投げられるという意味では少し安心感はあったのですが、実際にマウンドに立ってみるとまったく違う雰囲気でした。日曜日ということもあり
大勢の阪神ファン。それでもすごく楽しみながらマウンドに上がれましたし、全然緊張しなかった記憶があります。緊張というよりはワクワクのほうが強かったんですよね。年数を重ねた今思えば、結構どぎついシチュエーションだなと思いますけど(苦笑)。
──その年は20試合に登板し、次の年は開幕一軍でスタートしました。
釜田 高卒1年目でしたから、1年間通して投げた経験も、これほどのイニングや球数を投げたこともなかったので、今思えば、1年目が終わったあとにもっとしっかり休めばよかったなと思いましたね。これくらいボールを握らなかったら大丈夫かなとざっくりとした感じでいった結果・・・
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