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惜別球人2025

岡田俊哉(元中日) 引退惜別インタビュー 細身のタフネス左腕「生まれ変わってもまたドラゴンズに入りたい」

 

右大腿骨骨折という絶望的な故障から不屈のカムバック。血行障害もあった。度重なる試練に何度も見舞われながら、そのたびに強い気持ちで乗り越えてマウンドへ戻って来た。先発、中継ぎ、抑えとすべてのポジションを経験した16年間。満足のいく成績は残せなかったが、過ごした日々に後悔はない。
取材・文=牧野正 写真=榎本郁也、BBM


いつまでも待ってもらうわけにはいかない


 最後の打者は村上宗隆だった。9月20日に本拠地バンテリンで行われた岡田俊哉の引退試合。先発マウンドを託されての1打者限定――最後の花道にヤクルトは最高の打者を用意してくれた。カウント2-2からの5球目、144キロの渾身のストレートで見逃し三振。マウンドで仲間とハイタッチを交わし、ファンからの大歓声を受けてベンチへ戻ると、涙があふれて仕方がなかった。

――いつもとは違うオフですか。引退の実感はどれほどでしょうか。

岡田 まだいつものオフという感じです。ホッとはしていますけど、寂しい気持ちはそれほど……これからなのかもしれないですけど。

――あらためて引退を決断した経緯などを教えてください。

岡田 僕の場合、あの大ケガがあって(2023年2月の練習試合で右大腿骨骨折)、球団にもそこからの復帰を待ってもらっている状態が続いていました。育成契約となりましたが、そこから支配下に戻ってまた投げてもらいたいという後押しもすごく感じていて……それは達成できたんですけど(25年5月に支配下登録)、一方でプロ野球は実力の世界ですから(復帰しても)年齢的にも成績的にも厳しいなというのは自分の中にありましたから。

――引退の二文字が最初によぎったのは、いつごろですか。

岡田 数年前から成績は落ちて来ていたので、危機感はずっと持ち続けていました。もちろん盛り返したいというか、そこをなんとか引っ繰り返したいという気持ちの中でやっていました。大ケガをしてからは常に頭の中にありましたけど。

――最後もいい球を投げていたと思います。「まだできる」という声もあったと思いますが。

岡田 そう言ってもらえるのは本当にうれしいですけど、やはりこの成績では……。ほかの投手の力量と比べても厳しいと思いましたし、大ケガをしたからと言って、甘えじゃないですけど、いつまでも待ってもらうというわけにはいきません。それを理由に残してもらうのも違うと思いますから。第一線で本当にまた戦えるのかと考えて決断しました。

――他球団で現役を続けるという選択肢はありませんでしたか。

岡田 まったく考えもしなかったです。というのも大ケガをしたあと、球団からは最大級のバックアップ、サポートをしていただいて、それは本当に言葉では言い表せないほどのものでした。そこまでしていただいたのに、じゃあドラゴンズがダメなら違うところを探して、という気持ちにはとてもなれなかった。しかも高卒から16年もお世話になっている球団ですから。

――最後の打者は村上選手でしたが、事前に知っていましたか。

岡田 試合前に高津(高津臣吾)監督のところにあいさつに行き、そこで言われて驚きました。「一番・村上で行くから」と(笑)。

――登板後は感極まって涙も。

岡田 グラウンドでキャッチボールをしていたときからやばくて、めっちゃ我慢していましたから。

――引退セレモニーでは恩師でもある智弁和歌山高時代の恩師、高嶋仁監督が駆け付けてくれました。

岡田 驚きました。あえて(引退試合のことは)伝えていなかったんですよ。すごくお忙しい方なので伝えてしまえば無理してでも来られるので。でも裏ではそういう話になっていたんですね(笑)。僕は高校卒業後は大学へ行く予定でしたけど・・・

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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