日本ハム、巨人、中日と3球団を渡り歩いた。過去に打点王は3回と本塁打よりも打点、そしてチームの勝利にこだわり続けた大砲だった。野球が大好きな“大将”が現役生活に別れを告げた。 取材・文=牧野正 写真=榎本郁也、BBM 度重なる故障で気持ちに変化
突然の引退会見は8月15日のことだった。「これ以上、チームに迷惑を掛けられない」とシーズン途中で決断を下した。引退セレモニーは9月19日に本拠地バンテリンで行われ、18年に及ぶ現役生活に終止符を打った。それから2カ月が経った12月上旬、その表情は柔らかく、穏やかに見えた。 ――日韓レジェンドOB戦(11月30日、エスコンF)でのホームランは中田さんらしく豪快でした。
中田 気持ちよかったですよ。引退してからバットを握っていなかったので、そっちの不安が大きかったですけどね。周りはすごいレジェンドばかりのなか、ああいった場に呼んでいただいてうれしかったですし、楽しむことができました。
――いつもと違うオフを楽しんでいるように見えますが。
中田 もう野球のことを考えなくていい、その重圧、ストレス、不安、そういうのが消えたのでね。充実した毎日を送っています。時間が経てば寂しくなってくるのかなとも思うんですけど、今はまだそういう気持ちにはなっていない。ホッとしている部分が一番大きいですよ。
――あらためて引退を決意した経緯、理由を教えてください。
中田 今年は体重を落としてキャンプインして、絶対に結果を残すという強い気持ちを持ってやっていたんですけど、5月の終わりぐらいですかね、また腰をやってしまって……。ざっくりと20kgは落としたんですが、それでもまだ腰に来るのかなと。体重を落としてしばらくは“よしいいぞ”と思っていて実際に楽だったんですけど、(腰痛が)再発した瞬間、なんて表現したらいいのか、これじゃあ意味ないじゃん、という気持ちになって。腰の不安がなければバットはバンバンに振れるので。
――そこから始まったわけですね。
中田 僕が外れれば二軍で結果を出している選手にチャンスが行くわけじゃないですか。そこを考えるようになったら、自分は今、めちゃくちゃチームの邪魔になっているなと。今まではほかの選手たちの打撃を見ていてもなんとも思わなかった。むしろまだまだ俺のほうがという気持ちだったんですけど、それが純粋に、こいつすげえな、飛ばすな、スイング速いな……そんなふうに思うようになって。その時点でもう負けですよね。若いときはそんなこと一切、思わなかったですから。そういう気持ちに気づいて、そこから決断するまではすごく速かった。2週間もなかったと思います。
――それがシーズン途中の発表になったのでしょうか。
中田 確かにまだシーズンは残していましたけど、周囲に変な気を遣わせたくなかったですし、早いタイミングで皆さんにお知らせしておきたかった。そうすれば僕を使うこともなくなって若手にチャンスも行くでしょうし、あとは正直、自分自身、精神的に早く楽になりたかったというのもありました。
――引退セレモニーでは日本ハムの
栗山英樹CBOに
稲葉篤紀二軍監督がサプライズゲストとして花束を持って登場しました。
中田 いや、本当に来るとは知らなかったんですよ。聞いてなかった。だから驚きましたけど、僕にとってのパパと兄ちゃんですから、ありがたいなと思いました。
――現役最後の打席も中田さんらしいフルスイングで三振でした。悔いはありませんでしたか。
中田 最後は腰がどうなってもいいので、フルスイングで終わろうと思っていました。納得したスイングができて終われたので良かったです。
3年目の危機感 四番の重圧と責任
大阪桐蔭高では1年夏に五番・一塁で甲子園出場。投打二刀流で“平成の新怪物”と呼ばれた。ドラフト1位で4球団競合から日本ハムへ入団すると、やがてチームの四番を務めるようになった。勝負強い打撃で侍ジャパンの四番も務め、巨人、中日でも四番を張った。誰よりも四番が似合う打者だった。 ――高校時代から、卒業後はプロへという気持ちでしたか。
中田 プロへ行く確信があったのは中学から(笑)。高校3年間は・・・
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