東京六大学に3年6シーズンで「0勝」ながら、プロ注目の本格派右腕がいる。高校時代から150キロの“大台突破”を果たし、プロ志望届を提出していれば、指名確実と言われていた。レベルの高い激しいチーム内競争で、心身とも成長してきた。 取材・文=岡本朋祐、写真=BBM 
3年秋までは救援登板がほとんども、今春は2回戦での先発起用が濃厚だ。主将兼エースの柳[4年・横浜高]との2本柱で、2014年秋以来の優勝を狙う
歴代エースが背負ってきた背番号「11」異例の抜てき
明大の背番号「11」は、チームの“顔”として定着している。「御大」と呼ばれた名物監督の故・島岡吉郎元監督の在任時は、高校野球のように主戦投手には「1」を与えてきたが、平成に入りその流れが変わった。
エースナンバーの系譜を作ったのが、
川上憲伸(元
中日)である。1年時からフル回転し、2年春から「11」を背負うと、4年時(97年)は主将に就任したため東京六大学のキャプテンナンバー「10」を着けた。魂で投げる川上。「11」が明大の象徴となり、以降、
小笠原孝(元中日)、
木塚敦志(元横浜)、
一場靖弘(元
楽天ほか)、
岩田慎司(現中日)、
野村祐輔(現
広島)、
山崎福也(現
オリックス)、
上原健太(現
日本ハム)ら、歴代の好投手が誇りを胸に背負ってきた。
1学年上の上原が卒業した2016年に「11」を継ぐのは、154キロ右腕・
星知弥(4年・宇都宮工高)だ。同級生のドラフト候補右腕・
柳裕也(4年・横浜高)は、川上以来の「主将兼投手」。チームをけん引する立場にあるため、星は
「柳は全体を見ないといけない。その負担を、自分が軽減できたらいいと思う」と意欲的だ。
星は1年春から神宮のマウンドを踏んできたが、31試合の登板で3年秋まで未勝利。リーグ戦で実績を残してきた投手が「11」を着けてきた中、星の“抜てき”は異例と言える。昨夏まで3年間、侍ジャパン大学代表も指揮してきた明大・善波達也監督に、迷いは一切なかったという。
「姿勢は『11』にふさわしい。練習を通じ3年間、きちっと積み上げてきたものがある。ゲームに登板しない『11』では困りますが……(苦笑)、根っこがしっかりしてきたので、あとは芽を表に出すだけです」
主将・柳も「星は誰よりも熱心に取り組んでいる」と、チーム一の練習の虫を認める頼もしい存在だ。
“ケガの功名”により新たなスタイル確立
馬頭小6年時から投手専任となり、馬頭中では、早大の遊撃手・
石井一成(4年・作新学院高)の小川中とは何度も対戦してきた。中学3年夏、作新学院高の栃木大会決勝を観戦し、宇都宮工高への進学を決めた。
「県立でも強豪校と対等に戦っている。私学ではなく、公立で甲子園に行きたいと思った」 進路を絞った夏休み、麻生ジャイアンツ(ボーイズ)が、地元の球場でキャンプを張っていた。同チームの代表・
桑田真澄氏(元
巨人ほか)と、キャッチボールをする機会に恵まれた。
「あの衝撃は、忘れられません・・・
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