幡多農高(高知)ではイップスに苦しんだ。四国学院大では3年春に当時の最速151キロをマークした直後に、右ヒジ遊離軟骨除去手術。多くの困難を経験してきた190センチ右腕が、ラストシーズンにプロ入りをかけて戦っている。その過程とドラフト直前の今、胸に去来する思いを追う。 取材・文・写真=寺下友徳 
自己最速は3年春に計測した151キロ。右ヒジを手術したが、すでに148キロまで球速は戻ってきており、190センチの大型右腕は大きな可能性を感じさせる
「隠し玉」になった理由
8月21日、甲子園で「全国制覇」を決める戦いが始まろうとしている同時刻。四国地区大学リーグのマドンナスタジアム(愛媛)のネット裏には、8球団のNPBスカウトが詰めかけた。鋭い視線が注がれるマウンド上。そこに立っていたのは、松山大との一戦で先発を任された四国学院大の190センチ右腕・
岡上浩幸だ。
今任靖之コーチから「体が前に突っ込まないように、左足を上げるときに力をためる」と助言を受け、新フォームに挑戦しているラストシーズン。未完成の段階とはいえ、岡上のポテンシャルの一端を見ることができた。2回1/3で3失点降板と投球内容としては「試合を作れず全然ダメ」と、厳しい自己評価だったが、最速148キロをたたき出している。「オープン戦では社会人も抑えているし、ボールの力は断トツ」。昨年12月から四国学院大を率いる橋野純監督は言う。同指揮官は丸亀城西高、観音寺中央高で春7回、夏3回の甲子園出場。1995年春には観音寺中央をセンバツ初出場初優勝に導いた四国高校野球界の名将。そんな歴戦の士も認める真っすぐの力が、ドラフトの「隠し玉」として注目を浴びている。
プロ志望届が存在する現在、「隠し玉」は実質“死語”にもかかわらず、なぜ、このような逸材が「隠し玉」で残っていたのか?その原点は、幡多農高時代にある。
「実家はピーマンと米を作っているので、当時はそこを継ぎたい思いがあったし、自宅からも近かった」との理由から・・・
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