高校2年夏の投手転向が、野球人生を大きく変えた。大学では侍ジャパンに名を連ね、社会人では1年目からエース級の活躍。都市対抗、日本選手権の二大大会で実績を残し、実戦派を証明している。 取材・文=小中翔太、写真=宮原和也 
昨年11月の日本選手権2回戦[対日立製作所]では4安打完封。地元・大阪の熱い声援に応えてみせた
ストレートの軌道から突然、失速して逃げながら落ちる。これが、独特と言われる
吉川峻平のシンカーの球筋だ。必殺の魔球は引っ掛けさせてゴロを打たせること以上に、追い込んでから空振りを奪うウイニングショットとして機能する。最速148キロのストレートとシンカーのコンビネーション、しっかりした投球の型を確立させていることは吉川の大きな強みだ。
投手を始めたのは関大北陽高2年夏、監督の勧めがきっかけだった。ただ、本音の部分では「最初は嫌って言って、断ったんですけど、結構、無理矢理やらされた感じで……。絶対やりたくないポジションでした」。コンバート前は遊撃、三塁を守っており、それまでのキャリアは小学校で軽く経験しただけ。本格的な投手は初めてだった。“花形ポジション”に乗り気ではなかった吉川だが・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン