都立小山台高時代は3年春のセンバツ甲子園出場。当時から139キロの真っすぐを投げ込み「都立の星」として騒がれた。中大でも早くから慣れ親しんだ神宮で登板経験を積んだ。3年春の故障で同秋は棒に振ったが、貴重な時間となった。 取材・文=大平明 
最終学年を迎えて「投手キャプテン」の肩書が加わり、エースとしての自覚も十分である/写真=菅原淳
突然のアクシデントだった。昨年4月26日、東都大学春季リーグの亜大1回戦でマウンドに上がった
伊藤優輔。中大では
鍬原拓也(現
巨人)に次ぐ先発の一角を占めており、有望株としてさらなる飛躍が見込まれていたが、試合中に打球を左ヒザに受け負傷退場。左膝蓋骨骨折と診断され、長期離脱の憂き目にあった。
「シーズン前のオープン戦で良い結果を残すことができ、手応えを感じていた矢先にケガをしてしまったので、とても、悔しかったです」
打球が当たったのは、ヒザの皿と呼ばれる部分で下部の骨が欠けてしまい、くっつきにくい個所だったこともあって、手術でワイヤーを入れて処置した。
「3週間、ずっとベッドの上だったので、退院してからは、落ちてしまった筋肉を取り戻すためのリハビリメニューに取り組みました。特に太ももの内側広筋が細くなっていたので、最初は足を伸ばした状態でヒザの裏に軟らかいボールを置き、押しつぶすように力を入れることからスタート。それができるようになってからはチューブを使い、足を曲げ伸ばしするトレーニングをずっと続けていました」
ようやくグラウンドに戻ってこられたのは・・・
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