高校時代は甲子園に届かなかったが「福島の藤浪」の異名を取り、大型右腕として注目された。通算18勝を挙げた法大4年時にはプロ志望届提出も、指名漏れ。投手育成に定評のある強豪社会人で2020年のプロ入りを目指している。 取材・文=小中翔太、写真=山口高明 ![](https://cdn.findfriends.jp/img.sp.baseball/show_img.php?id=1880&contents_id=p_page_059)
183cmの長身を生かし、角度のあるボールを投げ込む。変化球にもキレがあり、2020年の内容次第では上位指名もある
「野手の投げる球じゃないだろ!」
小高工高(現・小高産業技術)1年の夏、監督に言われたその一言が、
菅野秀哉の野球人生を大きく変えた。それまでは遊撃手を務めていたが投手にコンバートされている。「あこがれは全然、なかった」と話すが、いきなり138キロの真っすぐを投げ込む潜在能力の高さを見せた。
2年春から主戦としてチームを支えると、そのヒジの柔らかさと、豪快な投球スタイルに、前年の甲子園で春夏連覇を遂げた大阪桐蔭高・
藤浪晋太郎と比較されるようになる。「福島の藤浪」。本格派右腕にはそんな異名がついた。2年夏は聖光学院高との準決勝で大敗(2対8)し、甲子園は近そうで、遠い場所だった。
ストレートの最速を143キロにまでアップさせた3年夏は、福島高専との2回戦で完全試合を達成。結局、前年に続き、県内のライバル・聖光学院高に4回戦で甲子園出場を阻まれている。NPBスカウトの動きも、にわかに騒がしくなってきた。菅野は6年前の快投をこう回顧する。
「自分は粘り強く投げただけで、ファインプレーが結構あったので、野手に助けられました。5回ぐらいに気付いて意識はしました。応援してくれる人もいましたし、勇気を与えられるプレーをしていこうという話をチームでしていたので、その気持ちがあったので何とか0点に抑えたいなと思っていたら、完全試合ができたので良かったなと思います」
法大では東京六大学リーグ戦通算18勝
勇気を与えるプレーを──。そう話すのには、訳がある。
2011年3月11日、激しい揺れが日本を襲った。東日本大震災当時、菅野は中学校2年生・・・
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