リーグ戦での実績は、多いほうではない。しかし、複数のNPB球団はスリークォーター右腕をドラフト候補にリストアップする。大学の先輩であるロッテ・益田直也をほうふつとさせる球のキレを誇る。 取材・文=沢井史 
阪神大学野球連盟に在籍する関西国際大。天理大、大体大と群雄割拠のリーグ戦において力をつけてきた[写真=宮原和也]
「
翁田大勢」の名は高校時代、早い段階から県内で広がっていた。なぜならば、4歳上の兄・勝基は西脇工高のエースだったからだ。2013年夏には、春夏を通じ初の甲子園初出場へ導き、初戦突破に貢献した右腕である。翁田は、兄を追って同校の門をたたいた。1年春からベンチ入り。体格が似ていることから、兄弟で比較されることが多かった。
「兄は、スピードはそこまで速くないですけど、ゲームを作れる投手でした。一方で、自分は球速が出ても……。抑えた実績が少ないんです。好対照でした」
幼いころから「投げることも打つことも好き」だった野球少年。試合では常に投打の中心に立ち、類いまれな運動神経は、地域でも際立っていたという。西脇工高でも打撃センスが見込まれ、1年夏から四番・一塁のレギュラー。2年夏は左翼を守り、1学年上の左腕・
武次春哉(関西国際大-日本生命)を支えた。3年夏は四番・エースで大黒柱を担ったが、県大会5回戦敗退。3年間で、兄に続く甲子園の土を踏むことはできなかった。最速147キロ。プロ志望届を提出したものの、無念の指名漏れに終わっている。
フォーム修正が素材開花の要因
関西国際大でも下積みが続いた。鈴木英之監督は、大学入学当時を振り返る。
「高校時代は力任せに、ただ速いボールを投げたい、と腕を振っていました。でも、大学や(オープン戦で対戦する)社会人のバッター相手では、ただ速いだけのボールでは通用しません。一生懸命、練習はしていましたが、まだ大学のレベルではないと思いました」
実戦登板で反省点を見つけ、練習では課題を一つひとつ克服するのと同時に、体づくりに時間を割いた。翁田は言う。
「オープン戦では・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン